彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

バックナンバー 最新

■十月某日

No.481

授業。

辞令交付。理事長は私を警戒のまなざしで見る。

職員総会。

その後、林海象らと飲む。京都出身の林氏から京都学を聞く。あと探偵学。『マイク濱』の発案者のこの人は探偵ライセンスを持っているという。

ついでにテレビの『濱』の文句をさんざんいう。いろいろお互い今後の映画、演劇の仕事について語り合う。また映画撮るぞ、映画、俺。

海象にホテルまでタクシーで送ってもらう。
■十月某日

No.482

授業後、新京極に出て、古本屋、バー、居酒屋を引っかける。

先斗町の小道の蕎麦屋でもりを食べる。
■十月某日

No.483

八角クラスの授業で『ボディ・ウォーズ』のビデオ上映。その後のトークに出る。

新京極で『DOLLS』を見る。やたら評判が悪いが、いいと思う。最初の十六分間は確かによくないが、二組目のストーリーが絡み始めるといい。北野の視線には一点の曇りもなく、ブレもない。死者のための映画だ。

贖罪と彷徨と死。この澄み切った絶望は私の琴線を痛く刺激する。

しみじみホテルで弁当を食べる。
■十月某日

No.484

春秋座で『クレマスター』1から5までの連続上映につきあう。春秋座は補助席まで出て満席。

都合8時間の上映の後のシンポジウムに出席。疲れて席を立つ気力もないのか、客席にはけっこう人が残っている。

天下一品でラーメンを食べる。
■十月某日

No.485

東京に戻る。

小学館で会議。
■十月某日

No.486

世田谷で打ち合わせ。

再び京都へ。
■十月某日

No.487

なんだか忙しいわ、俺。

世田谷の打ち合わせなんか午前中だしよお、その足で文学座で松田の『沈黙と光』見てよお、それですぐに京都だよ。

『ホテル』の歌手、島津ゆたかが壊れたということだ。NHKラジオの生放送中、急に「話が長いんだよ、おまえ」とか「おまえ、オッパイちいさいんだよ」とのたまい、退場になったという。

『ホテル』という歌もどこかジョン・ウォーターズの映画のようなおもしろさがあるが、本人もウォーターズの登場人物のようだ。

もっともどうやらアルコール依存症の気配があるらしい。

つまり、延々と二日酔いの悪心が続いている状態ということだ。それを解消しようと思って飲むと、確実にアル中の道に突入してしまうわけだ。

二日酔い時の奇妙な悪心を酒飲みなら一度は体験済みであろう。

いつだったかひどい二日酔いのときにアルコールを抜こうとサウナに向かい、背中に刺青をしたおっさんと隣り合わせになったところ、「ヤー公か、なんだその刺青、下書きだけかよ。痛いの我慢できなかったか?それとも金が尽きたのか、はっきりしろい!」といいたくなるのを懸命に抑えたことがある。

京都の出町柳駅は大混雑でどうしたわけかと思っているとホテルのニュースで鞍馬火祭りが行われていたせいと知る。

■十月某日

No.488

『メトロポリス』進行せず。なんだか大変だわ。

吉田栄作復活したな、どうでもいいけど。

夕刻大学のコース会議。ぐったり疲れる。
■十月某日

No.489

午前中の早い時間から一回生の授業だぞい。

でも一回生は吸収がよくてやっていて気持ちがいい。三回生は早くもかたまっちゃってるな。演劇創作とはこんなもんだという意識ができあがりつつあるな。よくないな。ぶっこわしてやろう。

とか思ってなんやかんやとくたびれる。

なんかなあ。つまり私が半年間ぶりの大学生活で学生とのつきあいの呼吸を取り戻していないせいと思われる。

同僚松田正隆氏より来週の大阪行きを促される。

新幹線で帰京。みどりの窓口で指定席を購入しようとしたところ後10分で発車というのにコンピューターにトラブルでなかなか発券されない。諦めた私は他にさしかえてほしい旨をつげると、ひかりは当分満席で1時間以上待たないとならないとのたまう。そっちのミスなんだから、サービスでのぞみに乗せろとこちらが主張すると、それはできないとのたまい、こっちが退かないとみるや、まだ間に合いますと、その50絡みの駅員、カウンターから飛び出てきて「案内します」と私のバッグを持ち、走り出す。私も全速力で駅構内を走り、抜きつ抜かれつの駅員との追っかけ追跡のようになり、面白くなったので、つい「泥棒!」と叫んでしまうと、「なに」と正義感の強い人が私の後を続き、停車している新幹線まで辿り着く。

「どいつが泥棒だ?」というジャージ姿の屈強なおっさんを前にした駅員さん私に「お客さん、悪い冗談っすよ」と青ざめた顔をしていうので、とにかく私は彼からバッグを受け取り、ジャージのおっさんに「嘘でした」と告げると、「なにー、おれの失った時間はどうしてくれるう!」と叫んだところで新幹線のドアが閉まり、私は無事乗れてバイバイ、ホームではふたりがなにやらもめだしているのが見える。

駅員さん、ありがとう。

島津ゆたかにオッパイが小さいといわれたのは、音羽しのぶという演歌歌手だったと判明したという。真相はDカップでけっして小さくはないということだ。これで島津は終わってしまうのだろうか。

突然だけど日本シリーズなんてまったく興味ねえよ。巨人が勝とうが西武が勝とうがよお。

ウイスキーのおいしい季節になったが、島津ゆたかにならないよう、気をつけよお。
■十月某日

No.490

国立能楽堂で狂言を見る。

帰ってくるとキム・ヘギョンさんの独占インタビューで大騒ぎである。
■十月某日

No.491

キム・ヘギョンさんのインタビューに批判続出の報を聞き、調子に乗っているテレビ局にいい薬だと思う。視聴者はバカじゃねえぞ、いくら『真珠夫人』が大人気といっても現実の浅はかなメロドラマ化に誰がごまかされるものか。

それにしても拉致被害者の家族、殊に横田夫妻、蓮池兄の感情、情緒に流されない冷静な態度は見ていて感動させられる。24年間の辛苦がこの人達をかようなまでに社会的にしたのだろうが、市井の人間という存在の強靭さを感じる。普通の人間達は政治家とかメディア連中とかいった特権的な連中よりよっぽど聡明で力強い。テレビなんか視聴者をいつまでもバカにしくさっているから、くだらない番組ばかり量産できるのだろう。

レーマン氏とのシンポジウム参加。

レーマン氏の講演は今のドイツ語圏演劇についてのことで実に興味深かった。

ドイツにおいてすらも演劇は非政治的な方向に向かっており、カストルフ率いるフォルクスビューネは今や例外的な存在であること。

サラ・ケインがけっこうな人気であること。

今後演劇が演劇として可能性を持ち続けるには演劇が自己言及的にならざるを得ないのではないか、等々。

その後に西堂行人氏の講演は「テアトロ」紙上に書いた原稿そのままの棒読みなので、口あんぐり。しかも早口なので、終わって休憩の折り、ブースから降りてきた同時通訳の人はかんかんだった。今回またつくづく感じ入ったのだが、西堂って変わってるな。

私は『ハムレットクローン』のビデオ流してユックリしゃべりました。

その後シンポ。今政治的であるということはいかなる態度と方法を持ちえるかということなど。

西堂氏より氏の新刊『ドラマティストの肖像』をいただく。

センターロビーでのパーティの後、誘われてレーマン夫妻を囲んでの宴に向かうが、学者の人々の仕切りの悪いこと悪いこと。学者は学者。やーれやれ。よく批評家なんか現場の人間達の我の強さと非常識さを指摘することがあるが、そんなことはないね。最近は逆につまらない常識人が多くなっている。結局みんな中小企業の社長だしね。仕切りはうまいよ。それと比べるとほんと学者、批評家連の仕切りの下手さ加減はないね。
■十月某日

No.492

ルパージュ『月の向こう側』を見る。

開演前、ロビーで太った人が片腕を上げるので、六平かと思ってよく見たら金守珍氏だった。その他いろいろ知り合いに会う。

なんと終演後、客席に鴻氏を発見し、三軒茶屋の「王将」で餃子と焼きそばとかに玉食って、ビールと紹興酒飲む。なんか「王将」ってのが我ながらしぶいと思うのだが。

氏は前日メルボルンから戻ったばかりで、明日より名古屋、京都と行き、すぐにローマ、ロンドンと演劇巡礼に旅立つという。ローマではピーター・セラーズの新作を見るということだ。

西堂氏の新刊によれば、私は日本演劇界のピロクテーテスということだ。これよりピロ川村と名乗ろうか。川村ピロのほうが可愛いかな。でもピロクテーテスかよ。これまた渋いぜ。酒とネーチャンでドンチャンやってそうな、もっと楽しげなのがいいな。オイディプスは痛そうだからいやーね。

フランクフルト大学に留学した早稲田の学生からフォルクスビューネのCD-ROMを送ってもらったので、見ようとするがなぜか開かず、悪戦苦闘。見られないまま寝る。情けない。
■十月某日

No.493

久しぶりの、ほんっとにひさしぶりに誰とも会わずにいられる休日。

ウェザー・リポートのCDを買う。

夜、結局原稿に取り掛かってしまう。
■十月某日

No.494

大阪の会議に出るために遊静館を早く出る。扇町ミュージアムスクエア、近鉄小劇場などが閉館してしまう事情を前にしての会合である。

七時過ぎに扇町ミュージアムスクエアに着くと、会場は関西の演劇人でいっぱい。

世話役の小堀さんの真摯さが伝わってくる。内藤裕敬氏の話し方は長州力とそっくり。いちいちウンウンと自分に合いの手を入れる話し方。

それにしてもみんな、一回のしゃべりが長過ぎる。もっと論旨を絞ってまとめて話してくれたほうが他の人がもっと話せる。まあ、ひとって緊張しているとやたら話が長くなるものだが。

小堀さんは本気でOMSを残そうと考えている。まったく賛成である。建物の問題ではない。

OMSが築いてきた界隈の文化が重要なのだ。

十時近く、終わり間際になって小堀さんが私にふってくる。もうないだろうと思って弛緩していた矢先で焦ったが、思っていることをしゃべる。扇町OMSがこれまで築き上げてきた界隈の空気、雰囲気、おおげさにいえば文化がこのまま不意になくなってしまうのはあまりにあまりだ。

京阪線で出町柳まで出て、ホテルにチェックインしたのはもう12時近く。
■十月某日

No.495

授業。

文化祭のために次の日の授業はなく、帰京。

新幹線、喫煙車に久しぶりに乗ると、どこもかしこも酒飲んでわいわいやっている。禁煙車より騒いでいる連中が多いと感じるのは思い過ごしか。

前の席のサラリーマンの一群なんざ、わいわいウイスキーかっくらって、「キャンディーズでは誰が一番よかった」とか「ピンクレディーはどっちがいい?」「ミー」「やっぱそうだよな。ハイヒールモモコ・ケイコはどっちがいい?」「どっちもいや」とかいう会話をやっていて、しまいには「総務の鈴木さんと五階の田口さんとじゃどっちがいい?」「おれは鈴木さんだなあ」「おまえはそうかあ、おれは田口さんだあ。じゃあ倉坪さんと大木さんとでは?」「うわー、そいつは究極の選択だあ」とかやっている。30代後半の連中である。ウイスキーを飲んでいるサラリーマンを久しぶりに見た。大いに騒ぎ、日本に活気を取り戻して欲しいものだ。
■十月某日

No.496

なんやかやと考え込みつつ終日執筆。
■十一月一日

No.497

執筆。散歩。

千代田区が歩行喫煙者にいよいよ罰金を課すとの報道で逆ギレして三万円投げつけて去る小娘が報道されていた。いいよ、こいつ。こういうのがひとりぐらいいて当然だよ。根性すわってるよ。歩行喫煙で子供の目に火が入った例もあったからとかいっているが、要するにその場でその母親が胸倉つかんで突き出すなり、訴えるなりするほうが健全であってなんでいきなり法令化になるのか、すぐ先生にいいつける子供みたいで、幼児性を感じる。取り締まる区の職員の姿って喫煙者を校内で摘発する先公みたいだ。くだらない。幼稚だ。

千代田区なんてもういかない。でも神保町って千代田区だったっけか?困った。

東村山市なんざ先月から有料ゴミでないと回収しないことになりやがんの。以前23区でやったところ、大都会ではまったく誰もいうこと聞かなかったから、田舎からじわじわ責めていこうってはらなのだろうか。そいでもって東村山くんだりの田舎もんはすぐにみんないうこと聞くんだわ、またこれが。ああ、くだらねえ。バカ法として当初は共産党なんざも見直しをせまっていたのが、今ではおとなしくなってしまっている。だらしねえぞ共産党。

共産党はこういうときに騒いでこそ共産党だろうが。

まったくみんなでいい子面して歩行喫煙はやめろだ、

ゴミはあんまり出すなだの、なんなんだよ東京ってのは。今に酔っ払いの歩行禁止とかいいだすんじゃないのか。路上でゲロ吐いたら2万円とか。

不謹慎を承知でいうが拉致被害の方、家族ともどもキャラがたっている。『オレたちひょうきん族』がやっている頃だったら確実にものまねドラマを演じているだろう。

横田さんのおとうさんをビートたけし、地村さんを新助、蓮池薫さんをさんま、曽我ひとみさんは山田邦子がいきいきと真似するに違いない。地村さんの妻奥土さんは柴田理恵、と柴田はひょうきん族には出てないって。

『自己批判ショー』よ、北朝鮮ネタやれ、大顰蹙もんのやつ。とにかくみんな日本全般的にいい子社会でつまんない。でもって悪い子になるといきなり殺人までいっちゃうからしょうがない。いい悪い子がいないと街がつまらない。最近の新宿のつまらなさはここにある。いい悪い子が育たない社会とでもいおうか。とにかく新宿はいきなりヤクザ抗争でいい悪い子の出番はない。

『タモリ倶楽部』で中島らも氏を見る。見事な壊れっぷりが素晴らしい。感動しつつ見入ってしまった。私がアル中に親近感を抱くのは自分の父親が半ばそうだったせいであり、同時に私は常に自分がそうなるかも知れないというおそれを抱いている。
■十一月二日

No.498

『生活笑百科』ってほんとベタな笑いで大好き。仁鶴の司会大好き。感情こもっていないし、目が笑っていない。怖い。反テレビ的な芸人である。最後の「ほな、さいなら」が絶品。

午後からお買い物。

原稿用紙買って、『ナニワ金融道』のデラックス版買う。遅れているがこのデラックス版によってやっと全編通して読めるので、今はまっている。連載時は拾った『モーニング』でたまに読めただけだったから。中居主演のテレビドラマは最低の毒抜きだった。

CDを11枚ほど買う。ハービー、マイルス、ミンガス、セシル・テーラー、アーチー・シェップ、アイラーもハンラハンも買っちまっただ。

元ちとせというからには前は松鶴家ちとせだったのかというギャグはすでにデイブ・スペクターがいっていただろうか。京都の叡山線には元田中という駅があって今は鈴木さんなのか佐藤さんなのかと考えると夜も眠れない。

執筆。思いのほか進む。

深夜シングルモルトを飲む。
■十一月某日

No.499

『怨み』という映画を見る。ジョージ・A・ロメロの新作で期待したのだが、がっかり。『ゾンピ』は遠くなりにけり。ジョン・カーペンターの生き残りぶりに比べると悲しい。

ウエス・クレイブンともども今一度70年代アメリカン・ホラーを研究し直してみたい欲求が高まる。ロメロのゾンビ物は当時高らかに「スペクタクルの社会」であるこの現実を批判しつくしたのである。

ジカダンパンだ!

千代田区の歩行禁煙、東村山の有料ゴミ、みんなまとめてジカダンパンだっ!
■十一月某日

No.500

京都のホテルにチェックインの際、前で住所名前を書いているオッサンの後姿が唐十郎氏にそっくりなので、まさかと思って横から見ると顔もそっくりこめかみのあたりの染みも似ているので、声を掛けようと思った矢先、こちらを向いた正面の顔は違った。寒く、体調いささか悪く、大浴場に入ってマッサージ器に座ってとっとと寝る。とにかく眠くて仕方がない。脳疲労と思われる。

No.501〜520 バックナンバー

©2002,Tfactory Inc. All Rights Reserved.