彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

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■十一月某日

No.501

授業。寝すぎで足に力が入らない。

終わって『ぎお門』できつねそばを食べ、とっととホテルに戻り、大浴場とベッドの往復。

それでも一時やる気を取り戻し、原稿用紙に向かう。

大浴場で唐氏に似たオッサンに話しかけられる。つくづく観察したが、体つきもそっくりだ。もしかして氏のドューヴルか。

テレビでスポーツ選手の負けず嫌い特集を見る。スポーツを見るのは好きだが、だからスポーツやるのは嫌だ。負けず嫌いなんて馬鹿みたいだ。要するにガキだ。

そのままだらだらとテレビを見る。普段テレビのくだらなさを批判しているが、こういうとき頭を使わなくていい番組は実に塩梅がいい。テレビはくだらなくていいや。

ボブ・サップのヴァラエティの勘の良さにびっくり。頭のいい人だ。やはり強い格闘技とお笑いのセンスは別物ではない。強さとは野蛮さだけ意味しない。

『わたしはあきらめない』では室井佑月氏が出ている。

この番組って要するに『知ってるつもり!?』の存命版ね。でも出演した人がその後あきらめちゃったらどうすんだろうね。

室井は新宿の飲み屋で数回会ったことあるし、なんと早稲田の私の講義に一度もぐりにきたことがある。いろいろ知識を身につけたいから二文を受験しようと思うとかいっていたが、口だけだった。

途中で眠くなって最後まで見られず、わたしはあきらめて、寝る。
■十一月某日

No.502

とにかく寝ていたばかりのせいか、存外元気である。京都も今日は昨日ほど寒くはない。

授業。『メトロポリス』、やっとテキストが最後まで完成する。学生達とやいのやいの言いつつこしらえたのである。なかなかみんな賢い。

帰京。
■十一月某日

No.503

朝日カルチャーセンターの第一回目。いやはや20代から60代の方まで年齢層幅広く、おもしろい!

都合四回、『牛蛙』をテキストにして演劇における関係について探っていこうということである。要するに擬似芝居作りである。

中島らも氏の最新エッセイ集を読むも、あまりおもしろくない。文章に力がない。本人の手になるものではなく、他の手になる聞き書きなのではないか。間違っていたらすいません。

かつて『今夜、すべてのバーで』は本当におもしろかった。その頃自分はアル中なのではないかという不安を抱えていたのが、この小説を読んで、自分などまだまだ程遠いと確信した。いやあ、本当のアル中ってのはすげえや、と感心した。『失われた週末』とか『酒とバラの日々』なんかも所詮はハリウッド映画だからまだまだキレイに描いている。

アル中にロマンなど無し。

そこでふと思い出したのが、『詩神は渇く』というエッセイ集でヘミングウェイ、フォークナー、テネシー・ウィリアムスらのアル中ぶりが描かれていて実に面白かった。フォークナーだかがヘミングウェイの小説に関して「やつが飲みながら書いたのがどの部分か全部わかる」とつぶやいていたところの描写など、同じ穴のむじなの凄みというか。
■十一月某日

No.504

とにかく脳疲労である。

終日『ナニワ金融道』を読み、老人のように暮らす。この言い方が正しいかどうかはわからない。老人とは早起きで元気な存在かも知れないからだ。

すでにもらった西堂氏の新刊が送られてくる。斜め読みしかしていないが、氏の著書のなかではとりあえず読み物としては一番おもしろい。

私に関する記述は、しかし私にとってみればもはや過去のことで、私はすでに第三期とも呼べる活動期に入っている。これからも変わり続け、いろいろ裏切り者呼ばわりされるだろう、けっこうけだらけ、猫はいだらけ!もしかしたら完成のないタイプなのかも知れない。ピカソ、マイルス・デイビス、ゴダール型といえば、てめえ何様のつもりだっと顰蹙だろうけど。

人間、謙虚に生きよう!
■十一月某日

No.505

とにかく眠るのが楽しくて仕方がない。十二時間寝た。

所沢の古本市でセザンヌ、ゴーギャンの図版入りの本などを購入。

不意にこのふたりがやたら気に留まったのである。

ゴッホの仇、永遠の悪役ポール・ゴーギャン。彼の描くタヒチは楽園と名づけられながら、なぜああも昏いのだろう。

そしてもうひとりのポール、セザンヌ。私は今でもあなたを尊敬しています。変容を続けるアーティストの先人として。あなたの描いた絵はすべて美しい不気味さに満ち溢れています。

ZORAの公演の稽古中の吉村からメールがあり、出演の三人日々罵り合い、殴り合い、殺し合い寸前という。物好きな人見たってや。
■十一月某日

No.506

十二月一日、ラジオの生出演を依頼される。引き受ける。なんだって引き受ける。詳しくはTfactoryのHPで。

最近私ら四十男たちが集まると口にする台詞、「いやあ、ほんっと水沢アキとつきあわなくて、よかったあ~」とこれはデイブ・スペクターのネタでした。

国際交流基金で韓国人の演出家と面談。実に濃い時間を過ごす。誰だかはまだヒ・ミ・ツ。

その後すぐに京都へ。

紅葉の観光シーズンのため、大学近くのホテルはとれず、二条河原町のホテルヘ。初めての場所だが、高瀬川のどん詰まり、一之船入のあたり、あまり人通りのない付近の夜はなかなかに風情がある。とまあこんなことを感じられるほどに京都通いに馴染んできたというわけだ。

四条のジュンク堂で『野坂昭如コレクション1,2,3』を買う。野坂氏の昔の中篇、短篇を読むのは二十数年振りである。かつて私は氏の小説、歌の大ファンだった。なんでも歌えるよ、『バージンブルース』とか『終末のタンゴ』とか『花ざかりの森』とか『マリリンモンロー・ノーリターン』はもちろん。ギャラくれれば出前で歌うよ。

やはり野坂に比べると中島は小さい。

どうも人というのは何十年経ってぐるりと一回りしてまた元に戻って来ると思えてしかたがない。最近やたら十代後半から二十代前半に入れあげていたものに出会うことが多い。

例えば四方田犬彦が平岡正明のぶあついダイジャスト本を編集している。

竹中労の全集もやがて出版されるだろう。太田竜も含めて革命三バカの仕事が検証される日も近い。俺がやろうかな。

革命三バカとドュボール、ネグリの連続と非連続について。ついでに足立正生を入れて、なんていったらおおーこわ。
■十一月某日

No.507

帰京。帰りの新幹線のホームは厳戒態勢である。近くのおばさんに聞くと皇太子が乗車するところだという。その後同じホームで麿赤児氏とばったり会う。氏は映画出演のため京都に来ていたという。好きです、麿さん。

東京に着いてすぐ韓国の演出家と新宿で飲む。濃い時間を過ごす。これが誰かはヒ・ミ・ツ。
■十一月某日

No.508

引き続き『ナニワ金融道』にいれあげ。京都通いと『ナニワ』のせいで最近変な関西弁でしゃべるようになってしまった。

中野の美容院へ。その後平凡ラーメン食べて喫茶『クラシック』でマーラー聞いて帰る。

『キリング・ミー・ソフトリー』を見る。呆然。あーあ、遂にチェン・カイコーこんなまでなっちまっただあ。見所はセックスシーンだけ。映画監督の寿命って短いなあ。

今年こそ来年の笑点カレンダーが欲しい。
■十一月某日

No.509

劇作家協会の新人戯曲公開審査で私が司会をやると聞いて、周囲の者達はなぜか爆笑し、「司会ってなにやるんですかあ」とかいいやがる。

なにやるって司会やるんだよ、司会。

寒さ厳しく感じられ、じょろじょろ小便ばかりしている。
■十一月某日

No.510

ジェームス・コバーン死去の報。好きな映画俳優だった。『大脱走』を見た小学生の折り、同級生のほとんどがマックイーンをかっこいいと興奮していたが、私はコバーンが良かった。しぶい趣味の子供だったのである。

コバーンはかつて『電撃フリント』シリーズで007のショーン・コネリーばりの人気をねらったが、かなわなかったという過去を持つ。これが不幸か幸運だったかはよくわからない。

ショーン・コネリーの007からのイメージ脱却のための悪戦苦闘を私たちは知っているからだ。それにしてもコバーンは監督との出会いにあまり恵まれなかったということはいえるかも知れない。似たタイプとしてリー・マービンはけっこう恵まれていた。バート・ランカスターなんざ、ビスコンティに惚れられた。

せめてイーストウッドがコバーンを拾ってあげて欲しかった。『許されざる者』にコバーンが出ていてもよかった。

こういった下手にアクターズ・スタジオとか色々な演技メソッドに侵されていないアクション俳優が好きだ。

京都で夜、会議。

その後、少し飲む。

それにしても最近酒を飲むことに飽きてきている。酒を飲まない人生を計画している。

年末年始を思うとうんざりする。がたがたとしたほこりっぽい街にはあまり出たくない気がする。
■十一月某日

No.511

京都で『メトロポリス』の舞台に使う用の映像撮影。

また会議。

高円宮、逝去の報。

高円宮が京都造形芸大の同僚森山直人に似ていることを発見。

同じくセンターの橋口はパパイヤ鈴木に似ている。橋口はあの髪型のかつら被って校内を歩けばばっちりなのに。

それにしてもだ、健康に気をつけて禁酒禁煙、摂生に努めて、それでぽっくり事故で死んじまったら大損だな。不摂生やってその結果死ぬのがやはり人間として健康なのではないだろうか。つまり不摂生をやりきってぽっくりというのがいっとう周囲にも迷惑かけない生き方ということであろうか。

朝日カルチャーセンターは『牛蛙』をテキストにして早くも熱気むんむんの佳境を迎えた。やはり今の時代、女性が最高に元気いっぱいだ。それでいい、文句なし。

数年前、山の上ホテルで偶然、水上勉氏を紹介され、そのとき氏は「川村さんには悪いが、今は本当に女性の時代で」と呟かれていたが、別に悪くはないのです、これでいいのだ。

新宿でシガーとシングルモルトをひっかける。

■十一月某日

No.512

帰京。

『ヤジルシ』を見る。

舞台の演出とは時間に対する執拗な意識の獲得であると深く再認識させられる。

やれ台詞の解釈だ、やれ空間の演出だなんてことは凡庸な演出家でもできる。

太田氏の舞台を沈黙劇などというのは、私の舞台を未だ「過激でアナーキーな」などという惹句でくくろうとするのと同じだ。

これは時間の変容を目論んだ舞台だ。演出家は独自の時間の認識を持たなければならないということで、多くの人気演出家の時間はテレビ番組の時間なわけだ。ギャグ、ソング、ダンスの演出はテレビ時間に依るしかないわけだ。

それにしても、つまらねえ世の中だ。ヌルイ、ヌルヌルにヌルイ。

■十一月某日

No.513

一日中、漫才こだま・ひびきのこだまのほうの口真似をして過ごす。

ああ、笑点暦が欲しい。
■十一月某日

No.514

酉の市。三の酉、花園神社へ。いいかげん飽きているのだが、12年間、同じ熊手屋・水島とつきあっていることもあって、いまさらやめられない気もしていく。

あいにくの雨で境内のぬかるみを踏みしめ、雑踏のなか、傘がぶつかりあってなかなか前へ進めない。

行きたいと連絡をいれてきた劇団員と。全員にまわすと、言われたので来ましたみたいな面して来るのがいるし、来たなら来たで、人ごみのなか、ボケどもを仕切らなければならない、飽きたなあと感じるのは、こうしたことが面倒くさいというせいもあるわけで、今回は少数精鋭でまことによろしい。

見世物小屋を月食歌劇団が仕切っているのにびっくり。

はあ、これがアングラなんだわ。アングラのまっとうな道なんだわ。と感じ入る。

すでにそれは私とはまるで無関係のものなのだと、深く感じ入る。

水島で招き猫の入った熊手を買う。

境内の屋台の飲み屋に入って、検便の話で盛り上がる。二十代の連中は小中のころの検便の経験がないという。「お尻にぺたっと貼るやつですか?」とか聞く。それはポキールといってギョウチュウ検査。私はよく保健委員をやっていて、これらの収集を受け持っており、プロなのだ。学級委員になりたくなくて、すぐに保健委員に立候補して、なっていたのだ。

それにしてもごく最近も生活習慣病検査で検便をしたのだが、検便の仕様の進歩には目を見張るものがある。

私らのガキの頃なんざ、割り箸でつまんで、銀の小さな容器に詰めて蓋をする原始的なものだったのだ。おえっおえっしながらウンコをつまみあげる、食べ物のように。

収集の朝ウンコが出ないのを悩んで家の飼い犬のクソを詰めていったやつもいて、検査後、大騒ぎになったりもした。

犬のクソというのは雑菌だらけだからだ。担任のやつが検査結果を見て「よくおまえ、生きてるなあ」と感心していた。

若い連中はこういうことやっていないから、ボケなんじゃないのか、一度自分のくそをしっかり見つめてみろい。

とかいう話で盛り上がっていたら、例によって私の声は随分と大きかったらしく、店を仕切る一見してすぐにヤクザと分かるオッサンから「お客さん、ここは食いもん屋や。クソの話はやめてや」とすごまれる。

さすがヤクザの文化祭、花園神社酉の市だ。

ところでクソ絡みのことで、私らの当時の教室で検査結果によって再検査を要する者をみんなの前で公表していたことに若者は驚いていた。本当に今考えると野蛮な時代だった。子供の人格、プライバシーなんざまったく考慮されないのが学校だった。色盲色弱検査もそうであり、ひどい世界だった。学校も親もがさつだった。こういった体験のせいで教育なんざ、私は今でも信じていない。

うさぎ跳びが体作りにいいと言われて、さんざっぱらやらされていた時代だ。

いろいろ思い出してきた。性教育なんざも教師達の態度はめちゃくちゃだった。小学校の高学年、女子が生理等に関する映画を体育館で見ている最中、なぜか男子は校外でマラソンをさせられていた。男子たちの妄想は膨大になり、どんなにすごいスケベな映画を見ているのだろうとゆがんだ。

修学旅行のときはアンケート用紙がなぜか男と女のものとが違う。しかも教師はなぜかこそこそと女子に配る。われらクソガキどもが黙っているわけがない、ひとりが女子から奪うと、メンスという聞きなれない単語が書かれてある。

これはどういうことなのかと教師に聞いても、あいまいにごまかそうとしたり、男の教師なんざ、勘弁してくれと逃げたりという態度なので、われらの妄想はここでもまた膨大なものになった。

メンスとはなんだ?ああ、メンス、オオッ、メンス!誰かおせーてメンス!

大人も逃げ出すほどのなにかとてつもない事柄であり、女達はそんなにまですごい秘事を携えている!と。

しかしそうした騒ぎのなかでも私は冷静なガキだったからメンスとはリンスの一種でそうした洗髪料で女の子が髪を洗ったことがあるかという趣旨のアンケートの文面と理解していた。

結局われらクソガキどもはメンスの本来の知識を得られないまま、なにか驚いたことがあると、決まって「むむっ、メンスゥー!」とわめくのが流行った。

このようにして日本の義務教育は今の私のような歪んだ人間を生んだのであった。
■十一月某日

No.515

京都。先斗町を徘徊し、日本酒におばんざい。初めて行くバーでジンダイキリをすする。このバー気に入ってたで。ちょいちょい寄らせてもらいます(京弁で)
■十一月某日

No.516

午前中、真如堂に行く。

授業後、四条に向かい、うな重を食べる。

先週ジェームス・コバーンのことを書いたが、ペキンパーの『戦争のはらわた』のことを忘れていた。映画もコバーンも良かった。ナチの将校のくせに英語しゃべっているのが気になるけれど。スタイリッシュな戦争映画よ。ペキンパーとコバーンを追悼しつつウイスキーを飲む。

飲みすぎかもね。そういえば、このあいだ毬谷の友ちゃんからお花のお礼で深酒気をつけてねってコメントもらってうれしかった。
■十一月某日

No.517

帰京。

新日のレスラー、棚橋が別れ話のもつれで女から背中を二箇所刺される。一箇所は肺に達していたという。猪木のコメントが新聞に出ている。

「刺されないように気をつけないと。おれもそれくらいもてたいなあ。ボンバイエどころではないなあ」といったかと思うと、

「何でおれのところに来なかったんだ?別れる方法を教えてやるのに。フフフッ」

だと。さすが奥が深い。みんなも気をつけよう!

夕刻、朝日カルチャーセンター。

夢に松田正隆氏が出てくる。なんでだろう?好きになったのかな。
■十二月一日

No.518

『アッコにおまかせ』で曽我ひとみさんがかつて好きだった森昌子と会い、『先生』を歌ったというニュースを和田アキコがうらやましがっていた。

蓮池兄弟の前で和田アキコが気を利かせたつもりで金正日がいつも着ている労働服を身に着けて『笑ってゆるして』を歌い、兄弟が顔をひきつらせている光景を想像する。さすがにアッコはこの歌はまずかったと思ったのか、すぐに曲を変えたところが、これが『だってしょうがないじゃない』だった。

NHK第一ラジオ『日曜ラジオマガジン』に出演する。

実に楽しい二時間だった。ホストである崔洋一氏とは正式に会うのは初めてなのだが、その頭のよさ、繊細さに痛く感じ入る。久しぶりにいい人に出会えた。

実にいい一日だった。

氏の新作『刑務所のなか』を期待して見に行こう。
■十二月某日

No.519

いつもより早く出て京都の紅葉の終わったばかりの古刹を回り、烏丸の河道屋でホーコーロを食べ、バーで一杯やってホテルへ。
■十二月某日

No.520

授業。どうも気が乗らないのだが、始まると好調である。

毬谷さんの母堂が亡くなったことを知る。

No.521〜 バックナンバー

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