彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

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■五月某日

No.341

冷蔵庫に一万円札のへそくりを隠して、一週間して見たら福沢諭吉がマフラーしてましたわ。というベタな小咄に大笑いする。テレビで上沼恵美子が言っていた。

稽古。小返しで通し。見学者も多く、賑やかな稽古場。小林さんは見学者がいると大張り切り。文学座の「牛蛙」のときもそうでした。役者ってこうでなくっちゃね。稽古場に見学者がいると、それだけでガチガチになってしまうのは情けないが、妙に意識過剰になってしまうのもいただけない。頑張りの按配がはかれると役者も一流ということね。

夜、アイリッシュ・ウィスキーをちびちびやる。ちびちびやっていたところが、飲みすぎる。
■五月某日

No.342

稽古場で衣装パレード。

夜、今朝アデレードから帰国した哀藤と遠藤がみやげの赤ワインを下げて稽古場にやってくる。哀藤はこの間名古屋のお父さんが亡くなり、一時帰国してまた戻るという大変さ。これからまたすぐ名古屋に戻るらしい。葬儀の後片付けであろう。遠藤はラッセルが明らかにほの字だったから、拉致されて戻ってこないのではと予想していたのだが、ラッセルの思いをまったく気づかずに最終日、哀藤から指摘されて初めて知ったという。なんという暢気女!ラッセルはオーストラリアの寅さんになってしまった。以前劇団に客演した中年俳優も遠藤をいたく気に入っていたものだった。おじさまキラーね。でも本人に自覚はないのね。妙に自覚してもらっても困るけれど。

公演の「ロスト・バビロン」は大反響だったということだ。これでうまくスポンサーが現れれば来年本公演ということ。がんばれ、ラッセル。遠藤のことは忘れなさい。

哀藤が「ホームページ見たけど汗だくなんだって」と笠木に余計なことを言うと、笠木は憮然としたまま何も言わず。こういうところで哀藤は人望を失くす。

パリの「ハムレットクローン」のリーディングの演出がジョルジュ・ラヴォーダンと知り、いたく感激する。知らない人は知らないだろうけれど、ラヴォーダンとはパトリス・シェローと並んで演出家の時代を牽引した人だ。それにしても関係ないけどシェローの映画ってつまらねえな。
■五月某日

No.343

稽古前、依頼された原稿の資料収集のため高田馬場の本屋を徘徊する。いろいろ考え事。

稽古場に再び宮内氏、登場。

稽古。通し。うーんと、まだちょっと心持ちまだ長い感じがする。三分長い。この三分が重大なのである。その旨を俳優諸氏に伝える。本当にみんなスマート。笠木を抜かしては。なんてね、でも笠木は本当にこの役は合っていると思う。そして彼のいいところは常に前向きで、すねたりへこんだりしないところだ。

パリ行きの航空チケットが届く。

ともちゃんといっても毬谷さんのことではなくて華原朋美の「あきらめましょう」っていいね。テレビで見たときは最初、金井克子かと思った。古い!

私、朋ちゃん、好きです。あゆより好きです。
■五月某日

No.344

衣装をつけての稽古。さらに衣装早変えの場当たり等々。

通しは実にいい出来。

「山利喜」に遂に入店。煮込みの旨さといい接客態度の良さといい確かに居酒屋の名店と呼ぶに相応しい。実に気持ちのいい酒場だ。「魚三」、少しは見習え。注文してもうなづきはするが動かない、オーナーらしきおばさん、まぎらわしいから、でてくるな。出てきたなら働け。

さて次回の当日乗はあっと驚く話題で満載ですぜ。

「山利喜」の後、両国に出て寿司をつまむ。おいしい一日でした。
■五月二十三日

No.345

稽古。通し。一時間三十一分といい時間だが、逆にテンポが早過ぎるところもあり。しかしここ数日三十分代に落ち着いていてとてもいい。スズナリでやるのにはこの時間がベストだと考える。五十分代など言語道断である。二時間過ぎれば犯罪である。三時間など何も考えていない馬鹿だ。

稽古後、東京から成田エクスプレスで空港へ。実は一泊三日のパリなのである。世田谷パプリックシアターとパリのテアトル・ウヴェールによる現代祖作家のリーディングの交換公演で、今年の初頭に私がエマニュエル・ダルレの「地下室」のリーディングを演出したのを、今度は現在オデオン座の芸術監督であるジョルジュ・ラヴォーダンが私の「ハムレットクローン」のリーディンク゛を演出する。

本番を間近にひかえたこの時期に稽古を三日間休みにすることなど通常では有り得ないことだが、どうしても行きたかったので稽古スケジュールには当初から組み込んでもらい、俳優諸氏にも事前に了解を取り、そのつもりで稽古を進行してきた。しかも予想通り、今稽古を休んでも不安はないわけだ。

そういうわけでエールフランス289便21時55分発に乗り込むことにあいなったのだが、離陸前に空港のバーでワインをひっかけるとたちまちのうちに酔いが回り、座席に身を沈めたときにはすでに酔っていた。

エールフランスの機内食はさすが今まで経験してきた機内食のなかでは群を抜いて美味い。

前菜は鴨肉、燻製。メインは子羊のフィレ。その後に三種類のチーズ。さらに様々な果物、ケーキ。同時にシャンパンから始めて赤ワインを通過し、カルバドスを飲み終えた頃にはすっかりほろ酔いで、そのまま意識を失う。

■五月二十四日

No.346

早朝四時半、まだ夜の明けきれないシャルル・ドゴール空港に降り立つ。十五年ぶりのパリだ。タクシーでクリシーのホテルへ。

タクシーの運転手に最初のフランス語、メルシ・ボク!ぼくの場合はメルシ・オレ!

チェックインしシャワーを浴び、二時間ほど寝て朝食を食べに階下の食堂に下りていくと、先陣である鐘下辰男氏、宮沢章夫氏と会い、クロワッサンにコーヒーをがぶがぶ飲む。岩松了が劇作家協会の季刊誌に載った野田秀樹の言葉に激怒し、協会を脱会し、さらに野田をぼこぼこにしたると息巻いているという話を宮沢氏が語り、大笑い。

同じく先陣の八角聡仁氏、松田正隆氏も加わり、パリ事情を聞く。鐘下と松田のリーディングはすでに終わっている。

私のリーディングは今日。それまでの時間どうしようかと考える。地下鉄に乗っての観光は疲れる。徒歩で行ける範囲と決め、モンマルトル墓地に赴き、フランソア・トリュフォーの墓を訪ねる。そのまま墓地を散策していると実際の埋葬に出くわす。好奇心で近づくと周囲の人々はなぜか親切に道をあけてくれ、墓穴を覗く。地下10メートルほど下の地面に安置された茶色い革張りの棺桶。小雨の墓地。

感謝のあいさつをしてその場を離れ、さらに墓地を行くと、植木屋風情のおっさんに声を掛けられる。動物愛護の会員だが寄付をしてくれと英語で言う。

小銭がないよと離れると私の足元に首を噛まれた鳩の死骸がある。おっさんもまた鳩に気がつき、おっーと軽い嘆きの声を上げて鳩を掴み上げる。こういうことなのだよとでもいいたげな顔で私を見る。彼は墓地のどこに鳩を埋めるのだろう。

墓地を出て迷いつつサクレクール寺院にたどり着く。寺院でぼんやりする。

降りていくと入り口のメリーゴーランドを見てああと想う。十五年前と同じメリーゴーランド。機械仕掛けではない、人力の木馬の回転。今日は誰も乗ってなくて、木馬は雨に濡れて停止している。

近くのカフェで休み、エスプレッソを飲む。屋台でホットドッグとペリエを買い、飲食する。

クリシーに戻ろうとするが、迷い、面倒になってタクシーに乗る。

ヘンリー・ミラーの「クリシーの静かな日々」について思いを馳せる。

ホテルで仮眠。

午後四時半、松井憲太郎氏、石井恵氏に連れられ、バスに乗ってムーラン・ルージュの真裏というロケーションのテアトル・ウヴェールに辿り着く。

劇場ではラヴォーダンのリハーサルが行われている。「ハムレットクローン」が男三人、女二人という構成から成る五人によって演じられている。年配の男優、女優がふたり。若い女優。私とほぼ同年齢と思われる男優ふたり。

五人は十いくつある役柄を衣装変えによって演じ分け、時折はマイクのある席につき、音楽もあり、演出の手が大いに加えられたリーディングである。私を見とめたらしいラヴォーダンの意識が感じ取れる。

リハーサルが終わるとラヴォーダンのだめだし。

あまり演じすぎないように。あくまで台詞を立てて、平明に。演じすぎると全体がパロディになってしまう。間違えても慌てず言い直してゆっくりと。

といった内容。読み込んでいる。ラヴォーダンに挨拶。

佐伯隆幸氏現れる。大学を一年間休んでパリ滞在とのこと。

松田氏がなかなか現れず、一同心配し始める。なんでも午後より松井、鐘下氏とポンピドーセンターに行ったものの途中でいなくなったという。佐伯氏が街角の有料公衆便所で亡くなった女性の話をする。忘れた財布を取りに戻ったところ、なにやらこの便所は床全体が反転する仕組みになっていて落下してしまったのだという。

「肥溜めに落ちたのと同じだな」

と不謹慎な私が言うと佐伯氏も深くうなずき、松田氏がどこぞの便所で落下しているのではと言うが、果たしてポンピドーの便所がその仕掛けであるかどうかはわからない。松田氏は着いて早々スリにも遭遇したということだ。日本から結城座の面々が出ているジュネの「屏風」を見に行く途中の混み合った地下鉄のなかでのことらしい。ウエストポーチの正面から三万円相当のユーロが知らないうちに引き抜かれていたらしく、気がついたのは劇場近くのカフェで支払いをしようとしたときだという。松井氏はまた結城座の人々とカフェにいて目の前の歩道で老人がひったくりに遭うのを目撃したともいう。治安はそう良くはないのだ。

どうした松田、松田に何が起こったか?

と心配するうちに本人は暢気な顔で現れ、はぐれて実に淋しかった胸のうちを訥々と語った。その語り口はまさしく「月の岬」であった。

それにしても同じパリで孫三郎さん達がいるにも関わらず、公演を見れず、会えない私とは残念な男だ。

七時開演。客席でウヴェールのプロデューサー、ラトゥン氏より、「ハムレットマシーン」のフランスでの最初の演出を手がけたジャン・ジョルジュイユ氏を紹介される。

いよいよ場内は暗くなる。劇の進行中時折笑い起こる。

一時間半後、終了。カーテンコールでラヴォーダンよりステージに招かれ観客の拍手を浴びる。その後、すぐにポストショーディスカッション。

ここでもやはりラヴォーダンの「ハムレットクローン」の構造に内包された天皇制のことが一番わかりにくかったという言葉に痛く感激する。本当に良く読んでくれたものだ。
ロビーで乾杯。ジョルデュイユと話す。

アトュン夫妻、ラヴォーダン、俳優諸氏と劇場近くのイタメシ屋に。周辺にいいフランス料理屋はないためということ。赤ワインを飲み、ミラノ風カツレツとパスタを注文するが、私の料理は皆のものと比べてなかなか現れない。

このことは我々にとってはラッキーだとラヴォーダン。料理が同時に来ていたら、劇作家が手をつけるまでは絶対他は始められないものなのだということ。半ば冗談だが、作家を大切にする紳士にして真摯な土壌の表れとして理解し、心に染み入る。日本では演出家は演出家が大事にされていないと主張し、劇作家も同様なことをいう。要するに誰も大事にされてはいないのだ。

最後はグラッパで締め、次にホテルの近くのカフェでビールを飲む。閉店時間の二時まで粘り、追い出される。

長い一日が終わる。

■五月二十五日

No.347

朝食を取り、天気がいいのでクリシーの周辺を散歩。カフェの歩道の席に陣取り、カプチーノを飲む。午前中の陽光をひたすら浴び、行き交う人々を観察する。異国でのこうした時間が好きだ。人間というコートを羽織った中身がなにもない器としての自分。

正午、ホテルをチェックアウト。八角、松井、鐘下氏らと今日のシンポジウムの会場である日本文化センター近くまで行って昼食を摂ることにする。地下鉄に乗る。乗らないまま去ることになるのかと残念に思っていたので実に嬉しい。都市の地下鉄が好きだ。

エッフェル塔近くのレストランで生ビールを飲み、クレープを食べる。十五年前もそうだったが、空気が乾いているせいか、ここでは昼間飲んでもだるくならない。

日本文化センターに着く。宮沢、松田氏もやってくる。松田君は昨夜、カフェから帰った折、カード式の部屋のキーが作動せず、20分ほど格闘し、最後はフロントで新しいキーをもらったのだと宮沢君が楽しげに語る。その様子を宮沢君はしっかりデジカメのビデオに撮ったという。

宮沢君は「恥ずかしいけど」といいつつ、エッフェル塔にレンズを向ける。

塔と本人を入れ込んだ構図のシャッターを押そうかというと、「そこまではいい」と固辞する。

15時、センター一階の会場で「日仏同時代演劇について」というタイトルでシンポジウム。エマニュエル・ダルレと再会。二時間。とにかく人数は多いし、通訳を介してで、こういうシンポジウムの常としていつもの通り退屈で仕方がない。

終了後、レセプション。成田空港の免税で買ったものの時間がなく封も開けていなかった大吟醸の日本酒パックを持って帰るのも重いと考え、君のための贈り物といってダルレにやる。

イタリアから来たという若いジャーナリストが「ハムレットクローン」をイタリア語に訳したいといってくる。館長である磯村氏が現れたので挨拶する。

ミッシェリーナ・アトゥンはヘビースモーカーであり、右手の中指と人差し指の節々が脂で茶色くなっている。この会場でもジタンを指の間から離さず、なぜか目が合うと、「人はなんというか知らないけど、わたしは吸いたいのだ」と何もいっていないのにしきりに弁解のようなことを述べる。やはり悪いなあとは思っているのだ。「ぼくは全然気にしないよ」というと、そうですかと素っ気無い。

マレーシア人の女優が来ていて、この手の会議でこんなに態度が自然な日本人たちは初めて見た、と大喜びだった。こういう感想を聞けると実にうれしい。

二時間ほどでセンターを後にし、ここで明日の便で帰国する松田、宮沢両氏とはお別れで、鐘下、八角、松井氏と佐伯夫妻とカフェでビールを飲む。

エールフランス274便23時30分発、すなわちドゴール空港発最終便に乗るため、空港へ。人気の便ということでチェックインの列は長い。

免税店を覗くと、キューバ葉巻の種類と数が充実しており、一時間ほど粘って吟味の末、コイーバ、モンテクリストなどを買う。

搭乗、離陸してシャンパンを飲むと、たちどころに眠気に襲われ、ほとんど眠りながら出される夕食を食べる。さすがにチーズ、デザートは食べられない。ぐっすり眠る。
■五月二十六日

No.348

18時、成田空港着。21時近く、遊静館に戻る。刺身と豆腐などを食べ、日本酒を飲む。

さてここで番外として今回のパリ旅行の正式なプログラムを参考に記述しておこう。公演の場所は三作ともテアトル・ウヴェールである。

22日「貪りと嘘と愚かさと」鐘下作。

翻訳ティエリ・マレ

演出アントワーヌ・コーベ

23日「月の岬」松田作

翻訳コリーヌ・アトラン

演出クリスティアン・スキアレッティ

24日「ハムレットクローン」川村作

翻訳ドミニク・パルメ、サトウ・キョウコ

演出ジョルジュ・ラヴォーダン

25日シンポジウム「日仏同時代演劇について」

場所・日本文化センター

■五月二十七日

No.349

午後四時より森下で最終稽古。スタッフはすでに劇場入りをしており、装置の仕込みの最中である。

時差ぼけ無し。ニューヨークの往復、特に到着時は時差ぼけがきついが、ヨーロッパはさほど感じない。それとも私の体が変わってきたのかもしれない。
■五月二十八日

No.350

終日明かり作り。
■五月二十九日

No.351

場当たり。一回目の通し。
■五月三十日

No.352

ゲネプロ。裏の転換以外は順調。俳優諸氏に問題無し。だめだしは短い。だめがあまりないからなのだ。
■五月三十一日

No.353

初日。本番前にゲネプロ。問題無し。

「穏やかな初日だなあ」と小林氏煙草をくゆらせて呟く。確かにばたばたしないと初日ではないみたいな演出家もいるけどね。

初日の舞台が開く。

ロビーでお客さんも交えての乾杯。色々な人がいる。好評。まさか自分のHPで不評と書くやつもいないだろうが、私なら書きかねない。実に好評なので一安心。

ところでパリに一日長く留まった石井さん達はあれからラヴォーダンの新作『ダントンの死』を観劇したそうだが、ひどくつまらなかったということだ。

近所の飲み屋で飲み直し、酔っ払って帰る。帰りの電車で隣り合わせた笠木に延々とだめだしをする。
■六月一日

No.354

マチネーで映像の失敗あり。昨日も小さなミスがあり、映像の初日が出ない。
ソワレ。次第に俳優諸氏の固さが抜けていっている。
■六月二日

No.355

今日もマチネー、ソワレ。マチネーのほぼ三分の二が過ぎた辺りで急に一切の電源が落ち、舞台は暗くなり、音も消える。調光室では音響オペの藤平さんが、お手上げのジェスチァー。ロビーに出ると、スズナリの方が走り出している。劇場だけではなく、下北沢のここ一帯が停電に見舞われたという。

暗がりのなかで続けられていた芝居を中断し、しばし復旧を待つことをお客さんに告げる。その間お客さんにコーヒーを配ろうとした制作部は電源がないことに気がつく。東京電力はまだ現れない。表に出ると同様に電気を奪われた店舗の人、住民が路上に出て呆然としている。このまま待つべきか他の手段を考えるものの決断ができない。おっとりがたなで東電がやってくる。古い電線が切断したのだという情報が入る。復旧には時間がかかりそう。

決断する。本多劇場にも連絡して懐中電灯をかき集め、都合八本の懐中電灯の明かりでの続行を決める。

楽屋に待機していた毬谷さんは「おもしろい。やってやろうじゃないの」と立ち上がる。

私を含め、照明の加藤さん、音響の藤平さん、制作の平井、その他スタッフが最前列の客席に陣取り、懐中電灯を俳優さんの顔に向ける。私にはこれで十分いけるという自信があった。外から消防車のサイレンが聞こえ、果たして、その光景はどこか戦火に見舞われた一角で上演している気分だった。あるいはサラエボで上演されたソンタグ演出の「ゴドー」。

懐中電灯を当てながら、俳優諸氏の熱演に不覚にも涙が出そうになった。銃声は藤平さんがとんかちで床を叩いて出した。

こうして劇を終えた。お客さんの拍手が身に染みた。偶然毬谷さんの母上が見ていらしていて、戦時中の管制灯下を思いだしてすごく面白かったという感想を述べられたと聞く。

明かりはまだ復旧しない。ロビーの窓から東電職員が電信柱に上っているのが見える。思わず「早くやれ!」と怒鳴ってしまう。

午後五時半頃、復旧。六時開演を三十分繰り下げて無事開演。滞りなく終演する。

終演後、ロビーで荻山さんとしゃべり、停電のことを話すと、「川村さんはそういうハプニングを呼び込んじゃう星の下にあるのよ、オホホホホホ」

イヤイヤ、そんな星の下はイヤ。平穏に暮らしたいのに。

この回には俵万智さんもいらしていて、うれしいことにひどく感激され、なぜ今まで第三エロチカの劇を見なかったのか痛く後悔、反省しているという弁を述べられる。実にうれしかった。今更私が言うのも僭越ですが、聡明、明晰な方でした。また見に来てね。

長い一日だった。数年ぶりに心底慌て、震えた。また語り草になる伝説を作ってしまったな、なんてことは今だから言えることで、いやはや。でもホント愉快だった。新井さんと毬谷さんとも、今日は面白かったね、と言い合って別れた。

帰りの西武新宿線で舞台美術家の島次郎さんとばったり会う。早速停電のことをしゃべり、次にモネの『睡蓮』が実はいかにポロックをはじめとするアメリカの現代美術に影響を与えたかといった会話で盛り上がり、充実した時を過ごす。
■六月三日

No.356

何事も無く終わる。いよいよ芝居は絶好調である。幸せをかみ締める。演劇の神様は人のことを落としたり,上げたり、いつものごとく気まぐれなこって。

世間はワールドカップ一色だが、こちとらにとっては実に迷惑な話だ。大体経済効果があるのだろうか。来日している外国人サポーターだって貧乏そうなのばかりではないか。そいでもって日本人は浮き足立って通常の生活をしないで、みんな家でテレビに噛り付いてで逆効果じゃねえのか。大体それまで相撲しか見ていなかったようなオッサンが滔々とサッカーをしゃべるのが嫌だ。

新宿の銭湯に行き、一風呂浴びて脱衣場で寛いでいると、15年前、同様にそことは違う新宿の銭湯で声を掛けてきた私のファンと称する男にまるで昨日会ったばかりのような乗りで声を掛けられ、不思議な気分に浸ったまま銭湯を後にして近くの中華店で生ビールを飲み、餃子、チャーハンを食べる。
■六月四日

No.357

日本、ベルギー戦だが、芝居見ろよ、芝居を。

懐中電灯での公演はすでに色々なところで噂になっているらしい。
■六月五日

No.358

マチネー、ソワレ。マチネーの最後の台詞の直後、雷が鳴り響く。天然のサウンドエフェクト。

まだ見ていない人、どんどん来て。
■六月六日

No.359

昼間原稿書き。三島について。仕事は忙しいときばかりにやってくる。適度に分散してきてくれない。

夜、スズナリへ。満席。しかしけっして楽勝はしていない。知り合いの記者さんが来て水商売はどこもワールドカップの余波で迷惑していると聞く。本当にこれ経済波及効果ないぞ。

夜、葉巻を吸い、70年代のハービー・ハンコックなどを聞く。当時こうしたフュージョンはジャズの邪道とみなしていたが今聞くと実にいいです。

京都より出来上がったばかりの機関紙『舞台芸術』が届き、なかの写真の一枚に目が留まり、なぎら健壱がチェホフをやっていたのかと感心してよく見ると松本修氏だった。
■六月七日

No.360

午後勢いを込めて原稿を書く。書き切る。夜、スズナリへ。

帰り新宿の銭湯に寄る。この時期より晩夏まで私は外出時には常に入浴用のタオルを携帯し、でかけた町々で時間が空いたりすると、銭湯を見つけてざぶりと入る。初めての町の初めての銭湯は小さな旅の気分。

この新宿の銭湯は場所柄もあり、いわくありげな男達がそれぞれチンポをぶらぶらさせている。

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