彷徨とは精神の自由を表す。

だが、そんなものが可能かどうかはわからない。

ただの散歩であってもかまわない。

目的のない散歩。

癇癪館は遊静舘に改名する。

癇癪は無駄である。

やめた。静かに遊ぶ。

そういった男である。

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■五月某日 No.1311
午前中から授業。

午後の授業後、studio21でKIKIKIKIKIKIのダンスのゲネを見る。

四回生の公演だがおもしろい。

学生達は一回生のとき、あーとかうーとか朝から発声をやって私自身がばててた基礎の授業のときの生徒達だが、若者って成長するものなのだなあと、初めての運動会での孫を見るおばあさんのように目頭が熱くなった。

一回生なんて、もうぴよぴよひなのガキンチョでどうなることかと思っていたのだが。

それにしても福知山線事故の記者会見の折り、JR西日本の幹部を恫喝していた記者、このままじゃすまんぞ、どこぞの週刊誌が、あいつは誰だと取り上げるぞとか話していたら、予想通りとなった。

まあ、あの記者の品性とは回路は別なのだが、順調だったり調子に乗ってたりすると必ず揚げ足をとられるこの日本の生理構造はほんとおそろしい。適度に不幸で適度に貧乏で人と同じでないと意地悪されるのだよ、この国では。

■五月某日 No.1312
新作100枚まで書くが、よくない。これを放棄し、第二稿の開始を決意する。

いろいろ考えてほとんどノイローゼ状態。登場人物たちのことが頭から離れない、出て行かない。

こういうときは考え続けてもいいことはなく、いったん頭をからっぽにしたいのだが出て行かないのだ。

仕方ないので銭湯いってサウナでびっしびし汗出すと、少しましになる。

調子悪い感が強い。

■五月某日

No.1313

文学座アトリエ『ぬけがら』

この喜劇はよく書けている。作者はニール・サイモンとか川村毅とかを読んでよく勉強したのだろうか。

主役が卵を四個に牛乳を混ぜて飲む場面が二回あってわからないように別のものに替えて役者は飲んでいるのだが、前の席のおばはんたちがこの仕掛けに気づかず、

「あらまた飲むのまた飲むの」とうるさく、「一日に八個、からだに悪いわねえ」

とわいわい話している。ほんっとおばはんっておかしい。

新宿『い志井』で焼き物を食う。

新宿でエル・トポを見、撮影を開始した短編映画の素材を撮る。

風花にいくと古井由吉氏、寺田博氏が喪服でいるので、どうしたのかと聞くと早稲田の平岡篤頼氏のお通夜であったという。平岡氏は数日前、なんとこの風花で倒れられ、病院に運ばれて帰らぬ人になったという。

酔っ払い、古井氏、寺田氏に「70歳超えても性欲ってあるもんすか?」

と聞くと、「ちょうど君の歳のころ、同じ質問を水上勉に聞いたことがある」

と寺田氏いい、「個人差はあるが自分は十分性欲ある」と古井氏。

そうこうしていると平岡氏追悼のために初めて来たというお客さんなどがやってくる。

■五月某日

No.1314

ひどい二日酔い。

まったく仕事にならず、夜、森光子の『放浪記』を見る。

■五月某日 No.1315
ひたすら執筆。
■五月某日 No.1316
新宿で秋のことで打ち合わせ。

中村屋でカリー食べて執筆。

最終ののぞみで京都入り。

最終は空いていて気持ちがいい。ウイスキーとか飲んだりして。

■五月某日 No.1317
研究室で久々にジョン・ジェスランと会う。再会。抱き合う。

『ピロクテーテス』は予想通り、いろいろあったらしい。

授業。トラウマ学園は進む。

夜、新京極で『クローサー』を見る。

マイク・ニコルズの映画を見たのは何年ぶりだろうか。

どうということはないが、ある程度の部分は楽しませてくれる監督だ。

もともと舞台の映画化で、ニコルズの十八番の方法だ。

まあ、台詞と設定はおもしろく、東京のあちこちで上演されているというのもうなずけるが、日本人の俳優でこれを見る気はしない。徹底して白人の体の台詞ですよ、これは。日本人が音にして出すとなんかこっぱずかしいのではないか。あと翻訳もよっぽどよくないとね。

それにしても翻訳ものは日本ではごく自然のこととしてやられているが、一度英米人俳優による『放浪記』とかも観てみたいものだ。とまあ、それぐらい日本人どうしが、ジョンだジェリーだと呼び合っているのは、私はおかしくて仕方がないのだが。昔の暴走族じゃあるまいし。昔のぞくには必ずジミーと呼ばれる小僧がいたものだ。

■五月某日 No.1318
京都は初夏の陽気。思えばずっと授業は後期だったものでこの時期の京都は初めてで、もう気持ちが良くて、遊びたくて仕方がないし、同時に眠くてしょうがない。

午前、午後、授業。

会議。午前零時まで。二日酔いを恐れてあまり飲まずに帰る。意志の弱い酒飲みの典型である。

■五月某日 No.1319
ほんっと京都はもう夏。

京都御苑をぬけて葵橋までいき、鯖街道の最終地で鯖寿司膳を食べる。

出町柳から三条に出て、丸善で大量に本を購入。

イノダコーヒーで一服してモンブランとか食べちゃって、観光気分。思い起こせばこの季節の京都は初めてで、ほんっとうろうろするのにいいよ。後期担当のときは寒くてできなかったことがいろいろやれるのよ。

錦市場で漬物買って、帰ろうとしたところ、なんか自分の血液がどろどろかさらさらか確かめられるというのひっかかってしまい、足裏マッサージとか受ける。

午後七時、春秋座で『ピロクテーテス』を見る。これを見るのと明日のシンポ出席のため、こうしてうろうろしているのであーる。ただ遊んでいるのではないのであーる。

舞台はどうだったかというと、さすがだよ、COOLだぜ。COOLな舞台ってこういうのをいうんだぜ。あと、映像の使い方の基礎が学べるっちゅうかね。真似するやつでてくるぞ。そういうやつにはすべて、ん、もうーっジョンにいいつけちゃうとかいってやろう。

終演後、お見事だった観世さんとかと飲む。この人なんでこんな元気なの、もしかしてアンドロイド。イヤー、すごいお人だわ。

■五月某日

No.1320

そういうわけで何時にホテルに着いたかも不明のまま目覚め、猛烈な二日酔いでよろよろとシンポの打ち合わせに向かうのであった。つらいっすよ。

映像ホールで石井聰亙監督の新作『鏡心』を見る。監督と十数年ぶりかで会う。変わっていないのでびっくり。

『ピロクテーテス』のシンポに出席。

帰京。

■五月某日 No.1321
休日。

サウナを出て銭湯のロビーでテレビのK-1パリ大会を見ていると、あと少しでバンナ、アビディ戦が始まるというので急いで帰る。

それにしてもパリ大会とはどういう層の観客が見に来ているのだろうか。

三年前、ウヴェールのリーディングで早朝ドゴール空港に着いたとき、正道会館の石井館長がひとりで誰かを迎えにきていたのを思い出す。第一回目のパリ大会だったか?

■五月某日 No.1322
執筆。ひたすら執筆。
■五月某日 No.1323
執筆後、また京都。夜中着。
■六月一日 No.1324
正午、研究室で観世先生とお話する。先生はこれから九州で、今年の末はポーランド、ロシア、韓国といかれるという。サイボーグ・ヒデオ!

下でタクシーに乗られるまでお見送りしたのだが、抹茶色の小型のトランクバッグが粋で目が離せなくなる。

授業後、『神馬』で鱧の柳川鍋、きんきの半身を焼いてもらい、鱧寿司などを食べる。なんかひとりで贅沢しちまった。ホテルまでたらたら歩いて帰る。

なんか私のまわりでは『ピロクテーテス』、オモシロクナカッタという声が多い。

まあ、おもしろいわけないよ、実験演劇だもん。

■六月二日 No.1325
授業。

『トラウマ学園GO!GO!』はまだ学生達の自主思考にしているが、そろそろぼちぼち、私の出番か、とも思うが、現在まったくの作家モードであるから、ある程度執筆のめどをつけなければ演出モードにギアチェンジができない。

帰京。

帰りの新幹線で岡田利規の岸田賞受賞の話題の戯曲を読む。

出るべくして出た戯曲で、こういうのが出てしかるべきであろうとは、数年前私書いているのよ、なんてプチ自慢したりして恥ずかしいけど、ほんとだもん、『せりふの時代』に書いてるんだ、メール言葉の戯曲は可能かというテーマで新人がそれで登場というケースは十分ありうるだろし、それはおもしろいだろうし、しかしその作家はその文体を延々と続けるわけにはいかないから、話題になった後苦労するだろうって。嘘だと思ったらバックナンバーで調べてみなよ、書いてるから。

まあ今回の岡田氏のはメール言葉じゃないけど、いかにも横浜出身という感じも出てて、おもしれえよな。現代口語体というふうにも言えるけど、これって横浜なんだよ、この言葉遣いとそれを支えてるテイストってのは、まったりとして、やる気のない感じってのは。ほんっと、横浜ってやる気のないところで、新しい文化なんか全然育たないし、そのくせ東京とは違うんだぜいみたいな変なプライドがあって、そのくせ大したことできないで、ええかっこしいなんだよな。ええかっこしいだから、おれは群れないぜとかいって、例えばサンパウロの日本県人会では神奈川県が一番集まり悪くてやる気を見せないと、岩手県人会のおっさんが怒っていた。

とにかく渋谷のラブホでせっせっとやって東横線で横浜帰る感じって横浜野郎の風景ね。

というわけで、これは読んでるとおもしろいけど、現実の舞台はつまんねえだろうなって予想できる。まあ、アンチ・テアトルだからね、おもしろいわけがない。

でも、もしアンチ・テアトルを「演劇なんかに何もできるわけないじゃん」を自明とする演劇と規定するなら、アンチ・テアトル大歓迎だな。少なくともおいらは。

社会派って他人への迷惑に関して鈍感だからね。

■六月某日

No.1326

執筆。

『ミリオンダラー・ベイビー』を見に行こうとしたが急のどしゃぶりの雨で断念。

いきなりだが、がんばれショーケン! 一緒に仕事したいタイプじゃないけど。

■六月某日 No.1327
休みの日。

都内でタクシーに乗ったところ、すごい速度で飛ばし、意味不明のことをつぶやく運転手はどうやら酔っ払っているらしく、私はなにやら北千住の立ち飲み串カツ屋に行きたいので北千住駅前に着きたいのだが、すったもんだあってどうにか辿り着き、料金を払うと、運転手へらへらと笑って釣銭がないとぬかして車を降りて、近くの公衆便所に入り、しょんべんなどしてるので、頭に来て便所まで追って胸倉をつかみ、てめーとか言っているという夢を見た。結局串カツは食べられなかった。

ビリー・ワイルダーの『ワン、ツー、スリー』を見る。

■六月某日 No.1328
少し執筆して、田端にロケハン。ついでに路地などを撮る。

途中、動坂のうなぎや『源氏』で生ビールとうな重。

郷愁の町であるが、さびれたなあ。父が好きだった路地の蕎麦屋『砂場』もなくなってしまった。

ところでチェルフィッチュの公演記録で出演者にある江口正登君ってぼくの知ってる、早稲田時代私のクラスにいて『ハムレットクローン・ワークインプログレス』で音響をやっていた、普段は温厚なんだけど、批評書かせると筆法激しい江口正登君ですか?

それにしても、早稲田には都合五年ほどいたわけだが、そのときの学生たちがいろいろな局面で社会に出で来て、おもいろいし、うれしい。なかには恩も義理も欠いてるのも若干おるがね、まあ今のところは不問にしておこう。

■六月某日 No.1329
午後より田端のあちこちで撮影。快調に進み、舞台美術家・加藤ちかの娘也子ちゃんがデビュー。子供っちゅうのはほんと自然な演技をすると感心。

くたくた。日焼けをしている。

■六月某日 No.1330
くたびれているが、執筆。

サッカー対北朝鮮戦。歌舞伎町でフィーバーを予想してそれを撮ろうと思って赴いたところ、さすが昨今厳戒態勢の歌舞伎町、大スクリーンは『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のCMを流しているだけで、警官の警備もあり、しんとしている。ここはけっこう日中韓、北朝鮮問題の火薬庫であるという解釈なのだろう。

ところで、例によってテレビの解説者だかただのファンだかわからないタレントだか元なんだかの連中のはしゃぎすぎは見ていて白ける。

そういうわけで2006年W杯ドイツ行きが決まったわけだが、その時期の公演の悪夢が蘇る。

実はこの時期、またあたし公演予定があるのよ、2006年6月。

ああ、悪夢が、悪夢が、はっきりいってW杯はすべての水商売の敵なのよっ!

『トラウマ学園』のチラシをチェック。

■六月某日 No.1331
くたびれているのだが、手が止まらず、執筆。ひとまず脱稿をみる。これからまた推敲があるのだが。
■六月某日

No.1332

曇りで、雨が降らないことを願って横浜に撮影に向かうのだが、見事に降り始める。

行く途中、湘南新宿ラインのグリーンに乗っていたら、京都の学生から電話があったので、通路まで行ってトラウマだなんだのとクラス公演の指示をして席に戻ると、また相当でかい声で丸ぎこえだったらしく、それはそれとして、隣の女性から「失礼ですが」と名刺を渡される勢いで声をかけられるので、「川村さんでいらっしゃいますか」とでも言うのかと思ったら『お医者様』ですかと言われるので、即座に否定した。どうやらトラウマがなんだかんだという電話の話から精神科医かなんかに間違えられたらしい。

野毛と山下公園で撮影。もうずぶ濡れ。

いい絵撮れて、大満足。ひさひさの映画モードに興奮する。

夕刻終了し、みんなして中華街で食事。

夜中、ワイルダー『あなただけ今晩は』を見る。

■六月某日

No.1333

それにしてもマツケンいいよなあ、好きだよ。って松井憲太郎さんのことじゃないよ、サンバのほうだよってわかってるって。カワタケとか呼ばれてみなさんにご奉仕したいっ! カワタケルンバとか出したいなあ。

『ミリオンダラー・ベイビー』を見る。

映画館は満席だ。

感想は一言では書けない。なんかいろいろな意味で痛い映画だ。

イーストウッドの次回作は石原慎太郎主演の硫黄島の戦争映画らしいが、楽しみだ。って違ったっけ?

■六月某日 No.1334
それにしても『ミリオンダラー・ベイビー』はじわじわとくる。

つらつら思うにこの映画は、イーストウッドがこれまで自ら演じていた男の体に刻み込まれた過去の傷跡を、女の主人公の現在として描いたと言える。

「イーストウッド=男の持つ痛み」があくまで過去のものであり、しばしば彼自身が亡霊のごとき曖昧な存在(『荒野のストレンジャー』、『ペイルライダー』)であるのに比べて、女の痛みは徹底して感傷を拒絶する現在であり、女たちは常に今肉体の痛みを受ける。

思えば『荒野の用心棒』、『奴らを高く吊るせ!』とイーストウッドはリンチという人為の災いを受けることから出発した男優であり、それは『許されざる者』まで引き継がれるのだが、そうした痛苦の主人公を女性に託したと言える。この女ファイターはまた『許されざる者』で暴行を受ける娼婦の像とも重なるが、今回ではイーストウッドはもはや彼女のために復讐するという行為が可能なシチュエーションにはない。ただ彼女の現在を受け入れるしかない、これが今までのイーストウッドの映画と違うところだ。

夜、十数年ぶりに『お熱いのがお好き』を見る。これで四度目だろうか。

ジャック・レモンが笑ったときの顔は阿部サダヲに似ている。

■六月某日 No.1335
ブラック・アイド・ピーズの『モンキー・ビジネス』なんぞを聴いて踊る。

夜、『麗しのサブリナ』を見る。のんきな喜劇だ。でも昔のアメリカのコメディってみんなのんきだけどね。ってとりあえずみんな丸くおさまりましたみたいな感じで終わるけど、この後地獄だろってのが多いんだよな。まあ、それがオツでいいんだけどね。喜劇って凄惨な事態を笑うことだからね、結局。

■六月某日 No.1336
国立劇場で落語をやって、その後楽屋で談志師匠から強烈なダメだしをいただくという夢を見る。

横浜で撮影しようとしていたが、天候のせいで断念。

『ナイアガラ』を見る。

■六月某日 No.1337
東中野で佐藤真監督の『阿賀に生きる』、『阿賀の記憶』、『SELF AND OTHERS』三本を見て、京都行きの新幹線に乗り込む。
■六月某日

No.1338

授業。

七月の編集の打ち合わせ。

学生達と王将で飲み食い。

■六月某日

No.1339

授業。

編集用のハードティスクを注文する。

太田省吾氏の新作のゲネを春秋座で見て、新幹線に乗る。

乗車中、携帯から『すばる』の元編集長にして私の担当でもあった片柳治氏逝去の報を受ける。先ほど亡くなられたということだ。食道癌で入退院を繰り返していたようで、三月病室見舞いに行った。それが最後になってしまった。

東京駅に着いて思い出した。ちょうど小説『夜』のゲラを、京都から帰京した私を東京駅の改札口で待ってくれていてもらったのだった。

そのことではっとして病院は御茶ノ水の順天堂であったから、もしやと思い、編集部の方に電話したのだが、すでにご遺体は実家に戻られたということだった。

■六月某日 No.1340
典型的な梅雨時の曇り空で、なにやらくたびれているので一日休むことにする。

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