彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

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■十月某日 No.801
稽古前の午前中、原稿上げる。

稽古。

PTの原稿のゲラをチェック。

■十月某日 No.802
稽古。

バタイユを読む。十代のころ読んだバタイユの著作をじっくり読み直そうと決意する。実はミシェル・シュリアの『バタイユ伝』を長年つんどくのままなのだ。読もうと思う。

■十月某日 No.803
稽古。

夜、歌舞伎町を歩いていると、客引きに「社長、キャバレンジャーに変身いかがっすか」と声を掛けられる。この台詞を元気なくささやくようにいってよこすのである。気に入った。行かなかったけど。

突然だが、「本人にわるぎはないんですが」という弁解の仕方があるが、聞くたびにわるぎがあってやられた日にゃたまんねえよと言い返したくなる。

■十月某日 No.804
朝八時、高田馬場の早稲田松竹に撮影のため集合。手塚さん、笠井さんの撮影。

正午、『バラード』の稽古初日。本読みにつきあうため文学座アトリエに。

夕方、三茶に戻る。稽古。

三茶のtsutayaでレンタルビデオにシュリンゲンジーフを発見し、慌てて会員登録して借りる。

■十月某日 No.805
正午、三茶で麻実さんと取材を受ける。

麻実さん、私のことを静の人と評する。稽古場でのことだ。淡々と進めていくので予想外だということだ。

みなさん、私ってそうなのですよ。熱狂も興奮も激怒もしたくない。役者と酒飲んで騒ぐこともしないし、打ち上げもすぐに切り上げて帰る。熱狂、興奮は舞台の上で十分。それで終わった仕事はすぐに忘れてしまう。

稽古の過程での興奮は嫌いだから、一緒に興奮して欲しい役者さんとは相性悪いかも知れない。その点、今回の稽古場は実に相性がいい。

とにかく怒るのは劇団でばかりで、みんなあまりに馬鹿だからなのだ。

『AOI』、『KOMACHI』、二本を通し、初めて互いの出演者がお互いの稽古を見合う。両作品のみなみなさま、実に気合十分の稽古だった。

稽古が早く終わったので『アイデンティティー』を見る。よくできたサスペンスだ。自慢じゃないけど私はすぐに結末予想できたけどね。

次に『ドッペルゲンガー』を見る。「自分を見つめ直すか」とつぶやいた後にすぐに車に轢かれて死ぬ柄本明が傑作だ。ラストシーンはチャップリンの『モダン・タイムス』だな。それと結局黒沢清って何を題材に撮っても結局ゴダールだな。それが悪いってなわけじゃないけれど。

■十月某日 No.806
稽古始まって初めての完璧な休日。

シュリンゲンジーフの『ドイツチェーンソー大量虐殺』を見る。

ドイツツアーを果たしたわが身にとっては実に興味深い。

■十月某日

No.807

稽古。
■十一月一日 No.808
十一月か。月日の経つのは早いものだ。大晦日、猪木祭りを見ていたと思ったら、もうまた大晦日がやってくる。

稽古。

取材。

■十一月某日 No.809
稽古。

吉野家で牛丼並みとおしんこうを食べて、夜、早稲田松竹で再び撮影。

■十一月某日 No.810
稽古。世間は連休だ。
■十一月某日 No.811
稽古。
■十一月某日 No.812
二度目の総見の日。
■十一月某日 No.813
休み。

突然だがなにがスイーツだよ、菓子だろ、菓子っ。なにがタートルネックだ、とっくりだろっ。なにがパンツだ、ズボンだろ、なにがベストだ、チョッキだろがっ。

サウナいってびっしびし汗かく。

■十一月某日 No.814
朝から取材。

稽古。芸術監督来る。

稽古後、ピンチョンの『怪談』を見るが、途中で軽い目眩に襲われる。目と首が疲れているのだ。まあ、確かに珠玉の舞台だ。印象は以前ニューヨークで見た『怪談』一作目と変わらない。

曙が大晦日のK―1に参戦に笑う。サップと対戦らしい。サップは頭がいいし、どうせ今稼ぐだけ稼いでとっととやめようと思っているだろうから、上手に曙に負けるだろう。

■十一月某日

No.815

ところで以前『特命係長 只野仁』と同じ枠で始まっている『独身3!!』がくだらなくて、この時間、曜日に見るのにほんといい。極楽の山本がいい。ほぼ同じ時間にやってるNHKの『帰ってきたロッカーのハナコさん』が女性向きだとしたら、こっちは男向きね。『ハナコさん』では松重豊と平山あやがいい。

そういうわけで稽古。

少し風邪気味。

■十一月一日 No.816
そういうわけで少し風邪気味。

そういうわけで稽古。

『新潮』で島田が福田の書評に大反論をしている。島田には珍しく感情をむき出しにしている。

若い頃、いろいろ批判それたときに反論しなかったのが、今になってひどくメランコリーの源泉になっていると書く。なるほど。私なんざ、若い頃いちいちいろいろかみつき過ぎたとたまにメランコリーになるのだが。調子にのってんじゃねえぞ劇評家って勢いだった。

まあ、攻めるも引くもメランコリーというところか。

島田は当時はたから見ていても本当に上の人にいじめられていたものだった。やはり顔がいけないのだろう。小説家はやはりチビかブオトコでないと仲間に入れてもらえないのだ。

顔というのはつくづく重要だと思う。井上さんが平田オリザ氏を以前あれほど買っていたのも、自分と同じジャンルの顔だからなのだと思う。

島田の反論文に戻れば、作家の執筆のエネルギーは憎悪だと書く。本当にそうだと思う。いいひとぶって人生語っている作家の内面だってどろどろのコールタール状態に決まっている。だから作家など素直に信じてはいけないのだ。

島田のこの文章は珍しく生地が出ていていい。私もこういうときのために爪を研いでおかなければと思うし、島田と福田は簡単になしくずし的に手打ちなどしないで、生涯の宿敵といった迫力でさらにやりあってほしい。

とまあ、喧嘩って周りで見ている人にとって楽しくて仕方ないのよね。

これが私はもう喧嘩はやめようと思った動機なんだ、実は。まわりを喜ばすだけなんだもん。さみしいエンタテイナーよ。

でも島田くん、バタイユを渡辺淳一と一緒くたにするのはやめてほしい。

■十一月某日 No.817
選挙。投票に行く。民主に入れる。

最終稽古。

演出助手の小松が「稽古総括ないんすか」と聞く。ねえよ、そんなもん。本番が勝負ってのに稽古総括してどうすんだよ。舞台ってのは不思議なもんで、稽古の雰囲気がいいからといって舞台がいいとは限らない。

テレビで遅くまで選挙番組に見入る。田原総一郎って酔っ払ってんじゃねえのか。

■十一月某日 No.818
今日は仕込み日で来なくてよろしいということなので、オフ。

雨で一歩も遊静館から出ない。

■十一月某日 No.819
テクニカル・リハーサル。
■十一月某日 No.820
ゲネプロ。

よろしい。

明日はプレビューの一日目。大いに楽しみだ。

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