彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

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■二月某日

No.601

やや二日酔い。昨晩は勝手にひとりで盛り上がっていた。

客席は昨日以上で立ち見もあり。

終演後、ゲストの崔洋一氏と私のトーク。実は酒が残っているせいで、調子が出ないなあと懸念していたのだが、崔氏に助けられ、なんとかこなした。

崔氏も混じって打ち上げ。

大人数でなく、十人ほどの打ち上げで各々同じ話題を語ることができ、また「俺が、私が」と自分の話ばかりするのもおらず、実に楽しく大人の会話をした。
■二月某日

No.602

雪。

ぐったりと一日、ぐだぐだと過ごす。

ポランスキーの『パイレーツ』を見る。当時大失敗作と断じられ、日本未公開作である。

そんなにつまらなくもなかった。おもしろくもないが。

夜、『マイケル・ジャクソンの真実』を見る。予想したよりつまらない。全部わかっていたことではないか。それなのに妙に大げさで思わせぶりの作り。
■二月某日

No.603

原稿書き。

『オルジァ』絡みで先週書き忘れたことを書く。

かつて第三舞台の制作をやっていた宍戸さんは現在西牟田さんも所属する事務所の代表であり、数十年ぶりに会った。お互い二十代の頃を知っており、私が髪を金髪にしていた頃、初めて会ったという。

そうなんです。私、当時まっ金髪にしていたのです。その頃そんなことしていたのは郷ひろみと俺ぐらい。そいでもって今ほど染めるの普通じゃなかったから、そこいらの美容院では無理なので原宿の芸能人御用達のところへいって染めました。もう街歩いていても振り返られる振り返られる。

「きれいに毛根の根元まで金に染まっていた」と宍戸さんは周囲に解説していた。

なんでそんなことしたのか、まるで思い出せない。上田馬之助の影響だろうか。

ところで手塚氏も西牟田さんもあまり酒を飲まない。

これは舞台俳優としてまことによろしい。稽古後、本番後、馬鹿飲みして翌日調子の出ない俳優を見ると、本当に嫌になる。

思えばなぜか20代より変な酒乱っぽい役者とばかりつきあっていた気がする。土方ばかりという印象が強い。

私のトラウマである。ここ近年外部の役者さん達とつきあいはじめてこのトラウマは解消されつつある。

日本の俳優のなかにもきちんと物事を考える人がいるということだ。
■二月某日

No.604

京都へ。

『メトロポリス』組と打ち上げ。楽日当日はできなかったので、このように遅い打ち上げとなった。

いろいろ聞くと学生達、私をずっと50代と思っていたのを知る。宮沢章夫より若いと知って心底驚いている。のんきな連中である。こののんきな連中から記念に置物をもらう。

すさまじい花粉症症状で寝ているときも鼻水が垂れ、のどが痛い。
■二月某日

No.605

ホテル・アピカルインで大浴場の朝風呂に入るが、ぬるくてじっとしていられない。その場で文句をいおうともしたが、時間もないのでやめる。反省しろ、アピカル!

大学で会議。花粉症の症状ひどく、くしゃみ、鼻水。鼻の下は真っ赤。

会議後、東寺に行き、五重塔の中を見、観智院の武蔵の絵を見る。解説しているおやじがやたらNHKの武蔵を気にしているのが気に入らない。

帰京。ああ、鼻水、くしゃみ!これほどひどいのは初めてだ。つらいがなんとなく文明人の仲間入りをしたような気分だ。
■二月某日

No.606

さくらやでいろいろお買い物して、執筆。執筆上のことで重大な路線変更を決意する。

深夜未明、そのことを近隣の者に告げる。
■三月一日

No.607

寒い雨の日。 

執筆。

遊静館近くの本屋で本買って領収書頼んで、宛名を「かわむら、かわは三本川の川で」というと、若い女の店員、『カワムラ三本川』とか書きやがんの。あまりのことでその領収書そのままもらった。
■三月某日

No.608

休日。

仲間由紀恵のCMの「おこられた」ってやつ大好きで、日に何度となく「おこられた」とかいっている自分に気がつく。

耳鼻科でもらった薬のせいか、花粉症の症状が解消されつつある。
■三月某日

No.609

三茶で打ち合わせ。いろいろ。

花粉症、もらった薬のおかげで鼻水はとまったものの、副作用のせいか酒を飲むと酔いのまわりが早い。気持ち悪くなる。
■三月某日

No.610

執筆。

『戦場のピアニスト』を見る。

-ポランスキー、68歳にしてこの題材で撮れて本当によかったと自分のことのようにうれしくなってしまった。見る側の安易な感情移入を封じたこの淡々とした語り口は『水のなかのナイフ』ですでに完成されていたものでもある。それにしてもポランスキーがこの題材で撮った映画を前にしてカンヌの人々はぐうの音も出なかったことだろう。かつてアンゲロプロスの『シテール島への船出』を落とし、『バートン・フィンク』にパルムドールをやって大いに顰蹙を買ったポランスキー。私も大いに憤ったが、まあ賞とはこうしたものだ。アカデミー賞も取るに決まっている。ユダヤ人、ホロコーストネタにアカデミーはめっぽう弱い。選定委員にユダヤ系が圧倒的に多いからである。
■三月某日

No.611

『戦場のピアニスト』でちょいと気になった女優が、エドワード・フォックスの娘と知る。そういえば尖った鼻、目の形が父親にそっくりで、どこかで見た顔だなと思っていた。

確定申告、領収書の整理。

心を閉ざして執筆。
■三月某日

No.612

相互の連絡の行き違いで数日後締め切りの原稿発覚、17枚。

急遽予定変更してこれにとりかからなければ。

さらに心を閉ざして原稿執筆。
■三月某日

No.613

心を開かないぼく

ぼくは今日も原稿書き

ぼくはどこにいくの

ねえ、誰かおえーてぼくは何歳まで生きるの

外で鳩が鳴いている

鳩さん鳩さん 

ぼくは今あまり人に会わないで

原稿を書いているんだ

ほぼできあがったんだ
■三月某日

No.614

都内某所で某芝居を見る。四時間近くあってケツ痛くなっちまったよ。

これがなんであるかは書かない。おっと『アメリカ』じゃないよ。『アメリカ』は行くかどうか悩んでいるところ。だって三時間半だろ。改訂版なら一気に一時間半にしましたとかいって、世間をあっといわせろよ。長い芝居はほんと嫌や。タバコ吸ったり、酒飲みながら見られるならいいけれど。

『裏切られたマイケル・ジャクソン』を録画しておきました。まだ見ていない。
■三月某日

No.615

だらだらと休む。

遊静館近くに、あっと驚く規模の熱帯魚店があり、ひさしぶりにそこに行き、いろいろな種類の魚を眺める。ここは本当に無料で水族館気分を味わえる。

次にバッティングセンターで30球ひっかけて、そばのゲーセンでシューティングゲームをやる。
■三月某日

No.616

まだまだ寒い。ああ、やだやだ。小便ばかり出る。

原稿上げてバイク便でフロッピーを渡す。

心を閉ざしてひたすら執筆。
■三月某日

No.617

花粉のうえにこの寒さは何だ。

心を深く閉ざして執筆。
■三月某日

No.618

演劇学の現在の催し、分科会出席のため、早稲田へ。早稲田ならではの独特の匂いをひさしぶりに嗅ぐ。分科会のプレゼンはサラ・ヤンセン。『ロスト・バビロン』の翻訳者である彼女と再会。彼女はベルギー人だが、ずっとニューヨークに住んでいる。9・11以後、アートシーン、演劇シーンはまったくおもしろくないということだ。テロとナショナリズム、イラク攻撃などなどで、アーティスト達もどうやら思考停止らしく、州によっては極端にアートに予算がいかなくなっている状況だという。

サラの友人達のなかには自分がアメリカ人であることが恥ずかしいという若者もいるということだ。

アメリカってのは合衆国だからね、何も全員がブッシュなわけではないとはわかっているのだが、自分にも嫌米気分があることに気がつく。イラク攻撃後のビジョンがまるで見えないではないか。だからといって流行のデモをやる気は起こらない。どうもなあ。

夜、『裏切られたマイケル・ジャクソン』を見る。

マイケル側の主張、反論はまっとうである。テレビ局による編集の横暴さは本当にあるわけよ。実は大昔に私もこういう目にあったことがある。話の前後を勝手に削られて、まるで反対の言説のよう改竄されてしまうのだ。

しかも大体にして最初番組を見た印象として、あのイギリス人のジャーナリストの妙にナルシスティックな立ち居振る舞いとそれに合わせたかのような演出、構成に大いに疑問を持った。何が「マイケルとの最後の対決だ」だ。極悪フィクサーにインタビューするわけじゃあるまいし。土台、こいつもただのナシモトじゃねえか、えらそうにしてるなといいたい。

あたし、スターじゃないけどマイケルの気持ちはよくわかる。自分の噂って嘘ばかりよ。自分の知らないところで何いわれてるか知れたもんじゃない。劇団員という近いと見える存在の人々が勝手に描く私像も、聞くと呆れるほどあたしと程遠いからね。もうびっくりよ。
■三月某日

No.619

執筆。

新宿を歩いていると、停車した車から声をかけられる。宝石かなんかが売れ残ってしまい、会社にいまさら持っていくこともできないので、安値で売るがどうかという詐欺の常套手段である。まだこの手でやっている一団がいるんだと感心する。この手口は80年代に流行ったもので、大学入りたての頃、田舎から出てきたばかりの同級生が見事にひっかっていた。一万円ほどで購入し、宝石店で売りたいから付き合ってくれと言われて同行した。いきすがら、購入の経緯を聞き、それは危ないのではといったところ、案の定、10万はすると言われて買った真珠のネックレスはまがいものであった。

そんなことがあって数日後、住まいとしていた荻窪の路上で車内から声を掛けられ、聞いたばかりの手口で宝石を買えという二人組みの男に遭遇したのであった。私はちょうどコインランドリーに行く途中で洗濯物と200円ばかりしか持っていなかったので、呆れられた。それにしてもこいつらも馬鹿だ。洗濯物持ってサンダル履きの大学生からいくらか引き出せると本気で思ったのだろうか。

この手口を未だやっている一団がいるわけだ。それともまた復活しているということか。

とにかくこんなことに引っかかるやつと思われたことがひどく不快だ。無視してすぐに去ったが、俺は知ってるぜ、なんで俺みたいなのに声を掛けるんだ、俺がひっかかるとでも思ってんのか、詐欺やるならもっと人を見る目がなければだめだとか、こんこんと説教してやればよかったと後悔している。

バーに赴く。ドライマティーニを三杯飲んだところで、な、な、なんと山田山子が現れるのでびっくり。慌てて帰ろうとするとコートの裾をつかまれ、仕方なくマティーニをもう一杯注文してしまう。

こいつが何者なのか、問い合わせが多い。あまり書けない。なぜなら山子はこの日乗の愛読者らしいからだ。でも書いてしまおう。もしこの後、私が謎の死を遂げたら山子のしわざと思ってくれて間違いない。

山田山子、年齢不詳だが、私とほぼ同い年と思われる。背は175以上あり、手のひらなど私より大きい。実は男なのではとも思う。顔立ちは年をとって更年期に入った頃の浜崎あゆとでもいおうか、化け猫とでもいおうか、リオのカーニバルでぼこぼこにされたブラジル人とも言える濃い顔立ちである。ああ、こんなこと書くと、殺される、殺されるー!

元ソープ嬢であり、若い頃はいかがわしいビデオにも出演したことがあるらしい。スターを目指したが売れなかった。当たり前だ。がたいがでか過ぎる。アダルトでアイドルになるには身長156ぐらいでないと無理だ。

山子は今は中野の路地でぼろい焼き鳥屋をやっている。狭くて汚い、4、5人がカウンターで座れるばかりの店だ。まずいモツ煮込みを出す。

およそ十年前、私が新井薬師前に住んでいた頃、中野ブロードウエイでヤンキーに囲まれたとき、飛びひざ蹴りと関節技でガキどもを蹴散らし、救ってくれたのが、山子で、以後友達付き合いをしている。お互い自分のタイプではないので恋愛感情は皆無だ。山子はがさつで、頭がおかしい。会いたくないのだが、なぜか偶然会ってしまう。三茶で自転車乗っているのには驚いた。多分三茶に今の男が住んでいるのだろう。

でもたまに話すと実におもしろい。

結局この夜も話し込んでしまった。山子の話で一番秀逸なのはソープ嬢のときの男達の生態だ。

「おもしろおかしい人生送りてえなあ」

と私がいうと、

「あんたは十分おもしろおかしくやってるだろがっ」

という。

トイレに立ったすきを見て店を出る。
■三月某日

No.620

相変わらず執筆で、完全に作家モードだ。今年上半期はこうした状況が続くだろう。

遅ればせながら、『刑務所の中』の原作劇画を購入。本当におもしろい。作家モードの生活とはほとんど刑務所の中と変わらない。

夜、プロレス新団体WJの旗揚げ戦の模様をテレビで見る。

メインの長州・天竜戦はライブ後の不評通り、唖然とするほどの凡戦。なにいにしえのカードやってんだという感想を免れ得ない。長州も天竜もお互い戦う動機がまるでなかったことが露呈してしまっている。

試合前の長州たちのインタビューもまるでおもしろくない。若いレスラーたちにしゃべらせるのはやめたほうがいい。頭の悪さ丸出し。長州も昔っから話しが下手。マイクパフォーマンスもいつもおうおういってて何いってんだかわからなかったし。ここいらあたり、団体の長として長州が向いているかどうか。WJは前途多難だなあ。

やっぱり長州は藤波と戦っていた頃に尽きる。その後の因縁あった連中、北尾、前田、橋本、小川、こう並べると私は常に彼らの味方だった。長州はきっちり負けるべきだと思った。

それにしても、昔からそうだったけれど新日本プロレスってのは中がどうなっているのかわからないところだな。藤波って影薄いけれど、ほんとに社長なの?誰が一番の責任者なの?

やっぱりボブ・サップって頭いいよなあ、いきなりだけれど。

No.621〜 バックナンバー

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