彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

バックナンバー 最新

■八月某日

No.421

酷暑のためとも推測できるが、しばしばやってくる目眩の原因の解明のため病院に向かう。

やはり日中せっせと歩きすぎたようだ。しかもクーラーの効いた室内との温度差が厄介なのだ。この夏は夏好きをも落とす。

別段異常は見当たらないが、MRIの予約をする。憧れのMRI検査である。40代にとって必要不可欠のものである。

いろいろ面白いことがあるのだが、ここでは書けないことばかり。

最近、読んでますよといわれることも多く、有難いようなへたなことは書けなくなったような。でも根本的には自分のために書いているのですわ。一年後に読んで、こんなことしていたのかあとかやりたいわけ。で、基本的に目立ちたい性格だから、自分だけで読む日記だと続かないわけよ。

夜、フィレステーキを食べる。オージービーフにオージーワイン。

雷鳴。閃光が向かいの建物を照らし出す。その光景が信じがたいばかりに美しい。激しい雨。
■八月某日

No.422

稽古。
■八月某日

No.423

稽古後、新宿でポール・シュレイダー『フォーエバー・マイン』をオールナイトで見る。『人妻』という邦題をつけられてエロ映画扱いだが、中身はソープオペラである。浴場が舞台なのではないよ、要するに早とちりの登場人物たちが普通では到底考えられない速度でセックスしたり別れたり、人殺したりする日本でいうところの昼メロね。

人妻役がタイプだったこともあって楽しむ。こういう誰もまともに取り上げないような映画はそれなりに好きだ。しかも客席は私を含めて五人という絶好の環境である。そこで缶の水割りとかちびちびやりながら見るわけよ。絶好のうら寂しさよ。

そういえばこれまでの客席の最少人数を思い起こすと、以前荻窪の当時駅前、バッティングセンターが入っていたビルの映画館でひとりで見たことがあったな。相米慎二の『翔んだカップル』。映写技師が客席を覗きに来て、俺がいるのを見て舌打ちしてた。

マルコ福音書を読む。
■八月某日

No.424

公開稽古。ITIの学生達もいて盛況。

通し稽古の後、内野氏が司会になり、私が『フリークス』の背景を語り、学生達と質疑応答。今回学生の選考を丁寧にやったと聞いていた。そのせいかこれまでのITIにはなかった的を得た質問、意見が飛ぶ。これまでの連中なんか、「なんで緑の靴履いてんですか?」とかこっちの脳みそがとろけそうな質問ばかりだった。

それに比べると段違いに冴えている。本バンも来てよ。

夜、夕食後『セシルB』を見る。

まだアメリカ映画もすてたもんじゃない。

ジョン・ウォーターズ!あんたはやっぱりサイコーだっ!愛してますっ!

興奮したままぐっすり眠る。
■八月某日

No.425

辻君、困ったことがあったら連絡くれ。美穂ちゃんは俺が匿う。

この日乗の読者の人から、あんたはあゆだ、ともちゃんだ、美穂ちゃんだと節操のかけらもないときつく非難される。

稽古。音響の原島さん、照明の高良さん、われらが最強軍団の大幹部が現れる。ふたりとも元気いっぱい。

笠木に大いにダメを出す。実は『アーカイヴス』の後、これでまた劇団でやるとまた下手に戻るだろうから出るなといったのだが、その予想がずばり当たってしまった。周りが下手だからほんと下手になってしまった。

『わらの心臓』の英訳チェック。間違い多数。面倒な作業。

夜、シュミットの『カンヌ映画通り』を見る。

マタイ福音書をひっかける。パゾリーニのせいである。
■八月某日

No.426

昼間、ぶり返した暑さのなかよろよろと渋谷に向かい、ユーロスペースで『JLG』を見る。

ユーロも予告編が長いな。『チキン・ハート』の予告のすぐ後に『フレディ・ビュアシュへの手紙』上映されても集中できないって。

それにしてもゴダールってほんと変なジジイだ。なぜか遠い人とは思えない。このわがままさは素敵だ。

不意に火がついたようにHPに劇団員の日誌が載り始めた。もっと早くからやればいいのに、はっきりいって私、この人達のやることなすことが理解できません。

せっかくだから中身をいじってやろう。

ほりの演出助手なんざ誰も最初から期待していないって。今回レシャードとふたりでやっているのだが、他に手の空いている人がいないからこのふたりになったという恐るべき理由である。ねっ、ほんとわけの分からない人々でしょう。

このふたりが演出助手と聞いたとき、なんか横でむおっーっと変な体に悪そうなフェロモン出していてそうで暑苦しいから嫌だといったのだが、笠木隊長によれば人がいないんだと。

とにかく、ほりが演出助手ってのがお笑いだ。あたりかまわず、ウットリ鏡で自分を見ている光景を目にすると、こちらは脱力して脳みそがとろけていく。鏡の前ばかりいる演出助手。家に鏡がなくて見だめしているのだろうか。

友田は友田で稽古場ネタだと本当にシビアだから私生活ネタに逃げたな。彼女の父親の気持ちがよくわかる。この男って飲みに誘ってやってもほんと何もしゃべらずに、ただもくもくと唐揚とか食ってるだけの食えない男。何かしゃべれとかいうと、「それじゃ小咄をひとつ。この箸どいつんだあー、おらんだー」とかまじめにぬかすのである。

おまえなんかに誰が娘をやるか!

でも「やる」だの「くれ」だの娘ってモノか?

おもしろい人達、それなりに楽しげな人達、劇団って楽しそうですねっ、私には理解できませんっ。

皆さん、舞台はこの人達の人格、日常とはまったく関係ありませんからね!
■八月二十三日

No.427

昼間、原稿書き。

シュミット『デジャヴュ』見る。

稽古場は昼間照明仕込み。夕刻より場当たり。
■八月二十四日

No.428

原稿書き。

夕刻よりゲネプロ。

日大芸術学部の藤崎先生が見学にこられ、稽古後『鏑屋』で飲む。劇団員も数名。わいわいと飲む。

劇団員には秘密にしておいた『鏑屋』の開放政策についに取り組んだのであった。
■八月二十五日

No.429

Aキャスト、Bキャストのゲネプロ。

たっぷり見たあーという感じ。
■八月二十六日

No.430

午前中遊静館の隣のババアにわけのわからないいちゃもんをつけられる。気分が悪い。
またゲネプロ。しつこい。

初日。

小林勝也氏ら来場。

珍しく裏のミスもなく、無事に終わった初日だった。

乾杯をして、飲み屋に繰り出す。いろいろな人々。

新宿に移って『風花』で朝の七時まで。
■八月二十七日

No.431

マチネ。

ポストショーディスカッション。司会は藤崎先生。劇団員達も出たのだが、予想通り何もしゃべれないので意味なし。

ソワレ。満杯の客席。

ここまで実に何事も無く舞台は進んでいる。

思えば去年の夏公演はいろいろなことがあり過ぎた。

一年経ってもう時効であろうから、出来事の詳細を書きたい気もする。

次回にしよう。

劇作家協会の新人賞の応募作品も読まなければならず、夏の宿題をこなしていかなければ。

疲れた家族が空気の抜けたダッチワイフのようなポポンSのコマーシャルが怖い。
■八月某日

No.432

一年前の『ニッポン・ウォーズ』の公演のときのこと。

リバイバル・バージョンの照明オペレーターを担当していた劇団員が来ない。

本番前日のゲネである。私はその事情を前日に知らされていた。この時点で他の劇団員には詳細は告げなかった。

彼女は妊娠していた。それは本人にとっても予想だにしなかったことで、一週間後に幕の開くニューバージョンでは俳優として出演の予定である。彼女は選ばなければならなかった。ゲネのその日に堕胎手術をすれば、一週間後の俳優としての出演は可能だろう。しかしそうなれば照明のオペは無理だ。手術をしなければ、なんとかオペはこなせるだろうが、俳優として激しい動きをするには流産の危険が伴う。

いずれにせよ、こちらは急遽オペを他の劇団員に一日のうちで叩き込まなければならず、さらにニューバージョンの代役も設定した。

どういう結論を下すかは本人次第だ。

これらのことはすべて後から聞いた話だ。これまでの一切のことも私が本人から聞いたことではない、すべて制作の平井から聞いたことだ。

本番前日のその日、本人は堕胎手術を決意して病院に向かったが、病院の待合室から平井に本人から泣きながらの電話が入ってきたという。迷っているという。相手の男性が本人の予想に反して、出産に賛成したせいもあるらしい。平井はそこで出産をすすめた。

急遽変わった照明オペによるゲネが終わって、平井からその報告を受けた。

私も、それでよかったと思った。これは残酷な物言いだが、彼女の女優としての将来性には責任を持てなかったからだ。

結局オペは他の人間がやったが、ニューバージョンは俳優として出るというのが本人の主張だった。だからやらせた。しかし公演中もがたがたがあった。初日の開いた数日後、激しい場面がきつそうだから、演出を変えて欲しい旨が中堅の劇団員から告げられた。私は怒った。演出を変えなくてはならないことに怒ったのではなく、なぜ本人の口からでなく、他人がいうのかということだ。どちらがどうなのかは知らないが、こうした手続きがやさしさと気遣いだと錯覚している劇団員の幼さ、しかもこうしたことをいくら説明してもまず大勢の劇団員は理解不能だろうといういつもの苛立ちだった。

彼女は無事舞台をこなし、退団した。すぐに私のもとに結婚式の招待状が届いた。出席はしなかったが、祝いものを送った。

今年になって赤ん坊の写真が送られてきた。

写真を見ながら、ああよかったと私と平井は嘆息した。他人はそうは思わないだろうが、何か重要なことをしたという思いだった。あのときの私達の言動によっては、写真のその子はここにはいなかったかもしれないと思った。彼女にとっても本当によかったと思った。堕胎して俳優の道に邁進したとしてもそれは誰にも非難はできない。しかし人間、簡単に俳優などという職業に関わるものではない。これでいい、本当によかったと思った。

親は子にこうした経緯をいずれ語るべきなのだろうか、それともいわなくてもいいことなのだろうか。
■八月某日

No.433

銀座のリクルートでガーディアン・ガーデンの一次審査に向かう。応募された劇団、およそ30本のビデオを見る。長時間冷房のなかにいると体にこたえる。まず頻尿。よく下痢と間違われるが、尿である。しかもいちいちジョボジョボ出るのである。そして次第に頭がぼっーとしてくる。

夜8時に終わり、暑い外を歩くと体の調子が戻ってくる。

帰宅してゴダール『彼女について知っている二、三の事柄』、『メイド・イン・USA』を見る。同じ年に撮ったこの二本は本当に素晴らしい。
■八月某日

No.434

午後、MRIの検査。頭部を固定されたとき、軽い恐怖を覚える。うるさいといわれていた音はどうということはない。情けないテクノミュージックのようなものだ。たかだか15分だが、体を動かしてならないのが苦痛だ。もっともこんなことをいっているのは私が健康であるからなのだろう。私の後は小学校低学年の女の子だったのだが、子供には少し恐怖かも知れない。

スタジオへ。

終演後、イタリア人ふたりとパゾリーニ談義。

来年パゾリーニの戯曲をリーディングの予定である。パゾリーニは戯曲を六本書いており、まだ一本も邦訳されてはおらず、無論上演もされてはいない。

加藤ちか、大野、俵さんらがいる飲み屋に行く。加藤も大野も初演の『フリークス』に参加していた。私が今42歳と知って驚いている。46、7とずっと思っていたということだ。なんだ、こいつらは。
■八月某日

No.435

マチネ、ソワレ。

『鏑屋』で飲む。
■九月一日

No.436

千秋楽。満席。

何事も無く終わる。

珍しく大事の無い公演だった。

打ち上げまでの時間、大山の古本屋で竹中労とサム・シェパードの文庫本を買う。竹中の『芸能人別帳』を読み始めると、久方ぶりに読む竹中節に熱中してしまう。10代の後半から20代前半、キネマ旬報に連載していた竹中の『日本映画縦断』から革命本まで読み漁っていた。この人の文章はさすがだ。本人は相当嫌な人間だったらしいが、統計的にいって嫌なやつほど文章はいいな。

小茂根のレストランで打ち上げ。吉田さん、藤崎先生。劇団員に天狗になるな、自分達の力だけでこの公演が成立したなどとゆめゆめ勘違いするなと釘を刺しておく。別にゼロから旗揚げしたわけでもないし、20数年という年月の重みに支えられているのだ。こうやってこの紙上で説教こくのにも飽きた。たまには人を褒めよう。

宮島が最近酒を飲んでは荒れているらしい。

宮島君、『藪の中』、熱演よかったよ!

今年の夏も終わった。
■九月二日

No.437

田中康夫圧勝を今朝知る。

夏の宿題、新人戯曲27本読みきる。

原稿書き。

東京スポーツの西本はるか絡みの記事で平田オリザ氏(49)とあった。どうもやるこということ抹香くさいと思っていたら、やはり僕より年上だったのね。

(冗談だって、怒らない、おこらない)
■九月四日

No.438

成田空港より午前10時、ルフトハンザ航空でハンブルグに向かう。

フランクフルトでハンブルグ行きに乗り換え。カンプナーゲル・シアター・フェスティバルを視察するのである。1999年のベルリン旅行以来のドイツ。ドイツとは縁が深い。最初の劇団の海外公演もドイツのテアターデアベルトだった。

19時頃、ハンブルグ中央駅すぐ近くのホテル・ライッツホフにチェックイン。古いヨーロッパ風の造り。

近所のマーケットでパン、ビール、ミネラルウォーターなどを買い込んで戻ると、ちょうどジョン一行がロビーにいるので、再会を祝い、リハーサルが終わったところなのかと聞くと、今チェックインするところだという。本番は二日後というのにのんびりしたものだ。

ジョンはなかなかすっきりした服装をしている。

また外出して近くのカフェでビールを飲む。

歌舞伎町に大火災が起こって戒厳令が布かれる夢を見る。
■九月五日

No.439

朝食を食べにレストランに向かうと、先発隊の宮内氏、スガ氏と会う。両氏はカッセルのドクメンタを見てきたばかりだ。ドクメンタ情報を仕入れる。

フェスティバルは好評でプログラムディレクターである鴻氏の評判も上々だという。心から良かったと思う。

スガ氏は午後のフライトで帰国の途に着く。

再びジョン一行とも会う。

午後市庁舎まで歩き、湖畔のカフェでラテとザッハトルテ。さすがウィーンが本家の当地のザッハトルテはおいしくない。

Uバーン、バスを乗り継いでカンプナーゲルへ。

プレスの場所には鴻氏の写真が大きく掲載された記事が貼ってある。

鴻氏現る。なんだかわけのわからない柄のシャツは相変わらずだが、さすがに誰かが進言し、コーディネートしてやったのだろう、センスのいいグレーのジャケットを上に着込んでいる。記事の写真とまったく同じ格好だ。ずっとこれで通しているのだろう。パンフレットの顔写真もなかなか決まって写っていて、私がこれまでスター評論家として鴻氏に不足していたとずっと思っていた見た目の弱さをかなりに克服している。

鴻氏になかのスペースを見せてもらう。大中小と6個ほどのスペースがあり、元倉庫であったのを市が買い取り劇場になっているという。

カフェでビール、白ワインなどを飲む。

19時半、DAMの公演を見る。

劇場のレストランでみんなと食事。

タクシーでホテルに戻る。
■九月六日

No.440

朝、食事を取りにレストランに行くと、内野氏、海上氏、北野氏、谷川氏、宮内氏などが集まり、昨夜の公演についてがたがたとしゃべっている。

まるで夜の飲み屋か、みんなでシンポやっているような勢いなのでうっとおしく、とっとと退散する。海上なんかよく朝っぱらからああぐたぐたと念仏みたいな口調で難解なことをしゃべくるものだ。恥ずかしい。

正午近く、駅のそばの市立美術館でココシュカ展を回り、深く心動かされる。常設展示も実に充実していてやみくもに歩いていると、急にムンクの『マドンナ』に出くわしたり、ベーコンの溶けた顔の肖像画が現れたりする。

中央駅のバースタンドでビール二杯を飲み、人々を見る。部屋に戻るもベッドメークの最中だったのでまた駅に行き、焼きそばとコーラを摂取する。

ホテルに戻ると、カッセルのホテルから予約OKのファックスが来ていて一安心。先にカッセルにいた北野氏に頼んでいたところ、「一杯でだめでした」とかぬかしやがんの。ガキの使いか、おまえはといいたいところを堪えた。

北野がだめだったというホテルの番号を聞いて直接電話すると簡単に部屋が取れたのだ。

16時、市庁舎前の日本領事館に赴く。

帰途、屋台でビールと茹でたマッシュルームを食べる。

20時、カンプナーゲル。スタッフから劇場図面をもらう。

21時、ジョンの『スライトリターン』。

終演後、外に出ると昼間の暑さから一転空気が冷えており、一気に具合が悪くなり、退散。

風呂に入ってとっとと寝る。

No.441〜460 バックナンバー

©2002,Tfactory Inc. All Rights Reserved.