彷徨とは精神の自由を表す。
だが、そんなものが可能かどうかはわからない。
ただの散歩であってもかまわない。
目的のない散歩。
癇癪館は遊静舘に改名する。
癇癪は無駄である。
やめた。静かに遊ぶ。
そういった男である。

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『秋のドイツ 最後の地・ズール編』

■九月二十二日 No.774
六時起床。

7時、スーツケースをトラックに積み、ハレ駅へ。

トラックのドライバーはここハレ出身のロコといい、ビーレフェルトからここの運搬も彼がやった。ビーレフェルトで本番を見た彼はいたく興奮しており、もう協力的協力的。

ハレ駅、8時3分発。途中3分の乗り継ぎというので隣のホームに走るも列車の陰の形も見当たらず。添田は「こっちのでいいといってます」と叫ぶ。要するに乗り換えずにそのまま乗っていればよかったのだ。

11時半、ズール駅着。

劇場で大道具搬入。

通訳としてお願いした山守さんも来る。ここはハレ以上に英語を解する人がいないので、急遽頼んだのだ。

ホラー氏登場。「準備万端整った」「いっぱいはたらいた」と日本語でいう。

ハレの本番で田辺さんが手を負傷した。冒頭の場面でけっこう血が流れていたらしいが、客席からはまったく気がつかなかった。

今日になってズキズキするというので山守さんと医者に。

それで山守さんがなかなか帰って来ないので、舞台の進行は滞る。

山守さんからの連絡で田辺さんの傷は思ったより深く、縫ったという。それにしても田辺さんという人もすごい根性だ。大阪・名古屋公演ごときでぶったおれ、点滴を打っている第三エロチカの若手と比べてどうだ。

そういうわけでスタッフ達は言葉も通じないせいでてんてこまい。

原島さんは若いドイツ人に怒鳴り、泣かしたという。照明の加藤くん、控え室に戻ってくるなり「あのオヤジ全然うごかねえ!」と叫ぶ。

俳優達は劇場からホラー氏の先導でホテルに徒歩で向かう。静かな住宅地に入っていく。

ホラー氏、痛風で杖をついているためやや遅く20分ほどで、この地においては古く由緒あるという『金の鹿』が現れる。木造のコテージ風の外観を見ただけで人々から歓声が上がる。

「こんなにいろいろなところに泊まり、体験する旅もない」と福士、つぶやく。

なかもまたいい。木作りのしんとした部屋。飾らず、はしゃがず、資本主義のテイストから遠く離れた空間。

ホラー氏、レストランを予約していてくれて、1階のレストランに集合。

ビール。豚肉のロール包み、ここの名物というじゃがいもの団子などを注文する。

笠木、現れず。部屋にもいないという。まあ、これがあいつの宿命だとか、どっかで自転車乗ってんじゃないかとか、来る途中サウナの看板があったので、やつサウナいったんじゃないか、でもあの汗っかき野郎サウナ必要かなどと、口々にみんな勝手なことをいって笠木ネタで盛り上がる。

ウエイトレスはチロリアンのような衣装を着ている。いうなればここは日本でいうと京都の古い旅館みたいなものなのだろうか。

深夜1時頃、スタッフ、チェックイン。

■九月二十三日 No.775
9時起床。

劇場入りすると、この地で唯一の日本料理店を経営し、今回日本において電話でいろいろ情報をいただいたりしてお世話になった佐分利氏からいろいろ貴重な話を聞いたと平井が語る話は本当に興味深いものだった。

ここがかつて東独時代、政府高官の保養地であったことはすでに聞いていたが、今でも日本から経団連の会長などがきたときなど、ベルリンから連れてきてここを接待場所にすることもあるということ。

劇場の近くに建ち、昨日ホテルに行く途中、「私の新聞社」と指差した『自由の声』という新聞はかつて共産党の機関紙であり、ホラー氏はばりばりの党員であったという。

世代によって統一に関する思いは異なり、佐分利氏の店は今年の六月に開店したばかりなのだが、そのオープニングの日、記念にカルテットによる国家演奏したときには、分断前のドイツを知っている老人達は幼少の頃聞いた国家だとして涙を流してなつかしがり、一方東独に生まれ育った世代にとってそれは西ドイツの国家であるに過ぎないわけで顔を強張らせ、

「勇気あることをしたな」と氏に感想を述べたという。

まだまだ東独は生きているのだ。東独という国家の消滅し、いまだに東独の人々は解せない気でいるのだ。

「統一は西側が東に仕掛けた内戦」という統一時のミュラーの言葉が思い出される。

14時、檻のフォーメーションの確認。

15時、リハーサル。

準備は整ったが、私はとにかく客席が埋まるのかどうかで不安だった。ホラー氏は500枚さばいたと豪語はしているのだが。

19時の開演前、はたして客席がどしどし埋まっているではないか!しかも引きも切らずまだまだ入ってきて、確かに500人以上の人々が客席でざわめいているではないか!

開演。無事に終わる。

ツアーの日程終了。

舞台裏でみんな口々に、おつかれさまの挨拶。

客席ではホラー氏の演説が始まっている。独日協会の会長として働いた氏の今回の公演は引退興行でもあったわけで、その功労として州から感謝状をもらっている。

私は客席でテレビのインタビューを受ける。英語でいいというので、英語で受け答え。

この模様は翌日の夜のニュースで流されるという。自分では見られない。

今回どこでもそうなのだが、公演後、すぐに移動なので批評が載ったはずの新聞も手にできていない。もっとも手に入れても読めないのだが。

装置はこの場に捨てていくので、バラシはなし。

終わったのだ。

スタッフ達と近くのチューリンゲン料理のレストランでラムステーキを食べる。美味い!

タクシーでホテルまで帰り、ウイスキーを飲んで寝る。

こうした淡々とした終わり方が一番私の望むものだ。

■九月二十四日

No.776

9時起床。

正午チェックアウト。

平井はホラー氏とラストバトル。氏にキャピタリズムのルールは通用しない。そう、あくまでまだここは社会主義国家なのだ。

それでもホラー氏、満足気に劇評の載った今朝の『自由の声』を五部抱えて駅まで見送り。

「またぜひやってください」といわれる。

乗り継ぎ二回、五時間の行程。

途中の乗り継ぎ駅、ウイズブルグはシーボルトの生地という。ここでハンブルグに帰る山守くんとはお別れ。ここで二時間ほど時間がある。ホームでジョー踊りだす。

吉村が記念撮影に構えたカメラがシャッターを切ったとき大きく揺れたので、みんな口々にだいじょぶかと訝っていると、吉村「ナイン、ナイン」となぜか胸のことをいう。

五時半頃、フランクフルト駅着。

駅前のホテルリージェントにチェックイン。

伊沢と同室。

八時、ロビーに集合し、打ち上げとしてザクセンハウゼン地区のレストラン、『ズム・ゲールマルテン・ハウス』にみんなで向かう。ジョーはフランクフルト・バレエ団にいる友達と会うというので別行動。

迷って一時間かかってしまう。

エッペル・バイン、すなわちリンゴ酒で乾杯。ソーセージ、ハクセ、アイスバイン等等。

頼んだタルタルステーキが出てこないのだが、店の連中は食べたんだろと、支払いを譲らない。

23時頃、店を出て、歩いて帰る。

部屋で伊沢とKORNを飲みつつしゃべる。

伊沢、真剣に30歳になった自分はこれからどうすればいいのかと真剣に問う。

いろいろアドバイスする。劇団に手本がいないからこいつも大変なのだ。

伊沢ぐらいはまともな人間の俳優になってもらいたいものだ。

3時、寝る。

■九月二十五日

No.777

9時起床。

10時半、チェックアウト。

車でフランクフルト空港ヘ。

ドライバーのトルコ人のオヤジと英語で会話。

「いい天気だよ、この季節にこの天気は珍しい。今年の天気はほんといつもと違うよ」

と猛暑の夏を語る。

物事とは本当に終わるものだ。

演劇の神に感謝。

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