カラカラと喉が乾いてくるような緊張感、緊迫感でした。 江守徹と手塚とおるの怪演ももちろんですが、あの物語の中で一歩離れたとこにいる、飯尾和樹の自然体な演技が心地よかったです。
コミュニケーョンについて考えさせられる作品だったと思います。『内と外』『実体』を意識させる演出が印象に残りました。部屋の内側にはドアがあるが、外に通じるドアはない。外界と通じることにより、コミュニケーションが必要になります。他者との接触が生まれるわけです。
しかし、そこには中身はない。実体のない見た目だけのコミュニケーションが表現されていた気がします。フクロウも、お酒も、カップ麺も、映写機から流れる映像も、中身はありませんでした。
空っぽのやり取りでは、見た目の印象や、名前や、記憶等が使われ、そこに誤解が生まれます。矢吹ひとしが「誤解だ」とつぶやく、あのひと言には静かな叫びが詰まっていました。
挨拶文にあるように、日本人は複雑さから逃避し、複雑さを追い払い、どこかへ向かって行っています。
劇中、何度も追い払われていたカラス。あれは私たち自身ではないかと、カーテンコールに立つ役者陣の黒い衣装を観て思いました。
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