「ねずみ狩り」は現在60歳のオーストリアの作家、P.トゥリーニの処女作。同作家の「アルペングリューエン」を00年世田谷パブリックシアター・ドラマリーディングで川村毅が演出した、ということと、03年「ハムレットクローン」ドイツツアーで訪れたターリアシアター・ハレーにかつてペーターさんがいた、というご縁から呼んでいただきました。 ペーターさんのいた旧東独では、観客挑発、全裸ありのこの作品は上演禁止。ペーターさんが22歳の時、住んでいたライプツィヒにトゥリーニが来て講演をした時に作家自身のリーディングによりこの作品を初めて知り驚いたこと。20年経って念願かなって、しかも日本の地で初上演できたこと。日本とドイツと同時代同様な演劇ムーブメントがあったこと、などなどもっと聞きたい同世代二人のお話しでありました。
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今月のクローズアップ
ペーター・ゲスナーさん
ペーターさんが日本に来たのはいつですか?
壁が崩壊してから二年後。
旧東独・ハレーのターリア劇場にいて、20代勉強中だったから、舞台スタッフや俳優やなんでも色々やっていて、皆が助けてくれたから演出もできるようになってそれなりに評価されてきていたの。
だけどとても心苦しいような思いがしていたのは、観客と自分が、同じ知識しか持てないんだよね、旧東独では。演出家はもっと多くを識っていて提示すべきものでしょ。
それと妻が博士号の勉強中だったんだけど、旧東独ではその勉強ができる人は例えば20人しかいないの。要するに20人分仕事が約束されているのね。それが統一されていきなり2020人が仕事を競いあうことになって。デモに参加してキャリアを失った、というどうしようもない皮肉な現状だったの。
ハレーで作品を創っていて不自由と思ったことは?
まずはとにかく駆け出しだったから、なんでも自由じゃないけど(笑)。
それと旧東独、その中で生まれ育っているから検閲があっても上演禁止される作品があっても、それが普通と思うものなのよ。
(そうだね、ヘンなこと聞いちゃった)
ターリアシアターは伝統を感じる良い劇場で、スタッフの皆さんもとても優秀でした。でも最近若者が劇場から離れてしまっているんですって……。私達の「ハムレットクローン」はフェスティバルの作品として、今は廃屋みたいになってしまった団地街の地下鉄駅で上演したの。この駅は知ってる?
勿論! その団地に泊まったんでしょ、タイヘンだったね!
そう、でもあの団地、僅かな家賃で国民全員に住居が支給されてるってことが旧東独の誇りの象徴だったんだよね。
私がいた頃のターリアは、特に検閲前のタブーであろう芝居の試演とかは若者であふれてて満席だったな。みんな仕事がないから離れていってしまうんだよね……。(寂しそうな顔)
その団地、国家的な盗聴の巣窟だったんでしょう? そして、今も出て行くこともできない人がいるのが問題なんだって聞きました。
それはそうね。そう……、久しく行ってないなあ。
ところで何故日本だったの?
どこへでも行ける国に生まれていたら、日本と思わなかったかもしれないね。とにかくそういう状況だったから、国を離れよう、全く違う文化のところへ行きたくて、南アフリカか日本、と思ったの。
縁あって北九州に住むことになって、とっても良かった。とても住みやすくて良いところ。東京は正直言って好きじゃない。人が住むところじゃないよ、そう思わない?
私も東京で生まれ育ってるから、これが普通と思うものなのよ。
おや、ごめん!
いえいえ……、そんな素朴なことかも知れませんねー。
ぜひこれをご縁にまたお会いしましょう!
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ペーター・ゲスナーさんとうずめ劇場の詳細は
http://www.uzume.org
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